塩鉄論 / 相刺篇
大夫曰:「橘柚生於江南、而民皆甘之於口、味同也、好音生於鄭、衛、而人皆樂之於耳、聲同也。越人子臧、戎人由余、待譯而後通、而並顯齊、秦、人之心於善惡同也。故曾子倚山而吟、山鳥下翔、師曠鼓琴、百獸率舞。未有善而不合、誠而不應者也。意未誠與?何故言而不見從、行而不合也?」
新字:大夫曰:「橘柚生於江南、而民皆甘之於口、味同也、好音生於鄭、衛、而人皆楽之於耳、声同也。越人子臧、戎人由余、待訳而後通、而並顕斉、秦、人之心於善悪同也。故曽子倚山而吟、山鳥下翔、師曠鼓琴、百獣率舞。未有善而不合、誠而不応者也。意未誠与?何故言而不見従、行而不合也?」
書き下し
大夫曰く、橘柚は江南に生ずるも、而も民は皆之を口に甘しとす、味同じければなり、好音は鄭・衛に生ずるも、而も人は皆之を耳に樂しむ、聲同じければなり。越人の子臧、戎人の由余は、譯を待ちて後に通ずるも、而も並びに齊・秦に顯る、人の心の善惡に於けるは同じければなり。故に曾子は山に倚りて吟じ、山鳥下り翔り、師曠は琴を鼓し、百獸率いて舞う。未だ善にして合わず、誠にして應ぜざる者有らざるなり。意うに未だ誠ならざるか。何の故に言いて從わるるを見ず、行いて合わざるや。
現代語訳
大夫が言った。「橘や柚は江南に生えるが、民はみなそれを口に甘いと感じる。味の感覚が同じだからだ。良い音楽は鄭や衛で生まれるが、人はみなそれを耳に楽しむ。音の感覚が同じだからだ。越の人の子臧、戎の人の由余は、通訳を介してはじめて通じたが、それでも斉と秦で世に出た。人の心が善悪について同じだからだ。だから曾子が山に寄りかかって吟じれば山の鳥が舞い降り、師曠が琴を弾けば多くの獣が連れ立って舞った。まことに善ければ合わないことはなく、誠であれば応じないことはない。思うに、まだ誠が足りないのではないか。どうして言っても従われず、行っても合わないのか」
解説
巧妙な問いです。本当に良いものなら言葉が違っても通じるはずだ、と。異民族の子臧や由余が通訳を介して世に出た例を挙げる。だから通じないのは中身か誠意に問題があるからではないか、と。この論法は現代でも聞きます——伝わらないのは伝え方が悪いからだ、と。半分は正しい。しかしもう半分を、次の段で文学がはっきり言います。受け手の側にも条件がある、と。
この章句が説くこと
未だ善にして合わず誠にして応ぜざる者有らず人の心の善悪に於けるは同じ意うに未だ誠ならざるか伝達誠実説得
関連する章句
-
尚書・周官德を作せば心逸んじて日々休く、偽を作せば心勞して日々拙し。
-
徒然草・第233段万の科あらじと思はば、何事にも誠ありて、人を分かず恭しく、言葉すくなからむには如かじ。男女老少みなさる人こそよけれども、殊に若くかたちよき人の、言うるはしきは、忘れがたく思ひつかるゝものなり。よろづのとがは、馴れたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり。
-
論語・為政篇子曰く、詩三百、一言以て之を蔽えば、曰く、思い邪(よこしま)無しと。
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「下位に居りて、上に獲られざれば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悅ばれずんば、友に信ぜられず。親に悅ばるるに道有り。身に反して誠ならずんば、親に悅ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。」
-
孟子・離婁章句下孟子曰く、「言に實無きは不祥なり。不祥の實は、賢を蔽う者之に當る。」 <解説> この節は分かりにくい。朱注に云う、「或いは曰く、天下の言實に不祥なる者有る無し、惟れ賢を蔽い不祥の實を為すと、或いは曰く、言にして實無き者は不祥なり、故に賢を蔽い不祥の實を為す、二説同じからず、未だ孰れが是なるか知らず、疑うらくは或いは闕文有らん。」私は後説を採用し、かなり強引な解釈をした。やはり朱子の言うように闕分が有るのだろうか。
-
尚書・君陳至治は馨香にして、神明に感ず。黍稷は馨と非ず、明德のみ惟れ馨し。