塩鉄論 / 孝養篇
丞相史曰:「八十曰耋、七十曰耄。耄、食非肉不飽、衣非帛不暖。故孝子曰甘毳以養口、輕暖以養體。曾子養曾皙、必有酒肉。無端絻、雖公西赤不能以為容。無肴膳、雖閔、曾不能以卒養。禮無虛加、故必有其實然後為之文。與其禮有餘而養不足、寧養有餘而禮不足。夫洗爵以盛水、升降而進糲、禮雖備、然非其貴者也。」
新字:丞相史曰:「八十曰耋、七十曰耄。耄、食非肉不飽、衣非帛不暖。故孝子曰甘毳以養口、軽暖以養体。曽子養曽皙、必有酒肉。無端絻、雖公西赤不能以為容。無肴膳、雖閔、曽不能以卒養。礼無虚加、故必有其実然後為之文。与其礼有余而養不足、寧養有余而礼不足。夫洗爵以盛水、升降而進糲、礼雖備、然非其貴者也。」
書き下し
丞相史曰く、八十を耋と曰い、七十を耄と曰う。耄は、食は肉に非ざれば飽かず、衣は帛に非ざれば暖かならず。故に孝子は甘毳を曰いて以て口を養い、輕暖もて以て體を養う。曾子の曾晳を養うや、必ず酒肉有り。端絻無ければ、公西赤と雖も以て容を為す能わず。肴膳無ければ、閔・曾と雖も以て養を卒うる能わず。禮は虛しく加えず、故に必ず其の實有りて然る後に之を文る。其の禮余り有りて養足らざるよりは、寧ろ養余り有りて禮足らざれ。夫れ爵を洗いて以て水を盛り、升降して糲を進む、禮備わると雖も、然れども其の貴ぶ者に非ざるなり。
現代語訳
丞相史が言った。「八十を耋といい、七十を耄という。年老いた者は、肉でなければ腹が満たず、絹でなければ暖かくない。だから孝子は美味なものを供えて口を養い、軽く暖かいもので体を養う。曾子が父の曾晳を養ったときには、必ず酒と肉があった。礼服がなければ、公西赤ほどの人物でも儀式の形を整えられない。ご馳走がなければ、閔子騫や曾子でも養いを全うできない。礼はむなしく飾りを加えるものではない。必ず実質があって、その後に飾るのである。礼が余って養いが足りないくらいなら、むしろ養いが余って礼が足りないほうがよい。盃を洗って水を注ぎ、階段を昇り降りして粗末な飯を出す。礼は整っていても、それは尊ぶべきものではない」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『塩鉄論』孝養篇文學曰く、善く養う者は必ずしも芻豢ならず、善く供服する者は必ずしも錦繡ならず。己の有する所を以て盡く其の親に事うるは、孝の至りなり。故に匹夫の勤勞も、猶お以て禮に順うに足り、菽を歠り水を飲むも、以て其の敬を致すに足る。孔子曰く、『今の孝は、是れ能く養うと為す、敬せずんば、何を以て別たんや』と。故に上孝は志を養い、其の次は色を養い、其の次は體を養う。其の禮を貴びて、其の養を貪らず、禮順い心和せば、養備わらずと雖も、可なり。易に曰く、『東鄰の牛を殺すは、西鄰の禴祭に如かざるなり』と。故に富貴にして禮無きは、貧賤の孝悌に如かず。閨門の內に孝を盡くし、閨門の外に悌を盡くし、朋友の道に信を盡くす、三者は、孝の至りなり。家に居りて理まる者は、財を積むを謂うに非ず、親に事えて孝なる者は、鮮肴を謂うに非ず、亦た顏色を和らげ、意を承けて禮義を盡くすのみ。
-
論語・顔淵篇子張問う、「士は何如なれば斯れ之を達と謂う可き。」子曰く、「何ぞや、爾の所謂達なる者は。」子張対えて曰く、「邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。」子曰く、「是れ聞なり、達に非ざるなり。夫れ達なる者は、質直にして義を好み、言を察して色を観、慮りて以て人に下る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。夫れ聞なる者は、色に仁を取りて行いは違い、之に居りて疑わず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。」
-
尚書・周官明王の政を立つるや、其の官のみならず、其の人のみす。
-
『塩鉄論』孝養篇文學曰く、周の襄王の母は酒肉無きに非ざるなり、衣食は曾晳に如かざるに非ず、然り而して不孝の名を被る、其の父母に事うる能わざるを以てなり。君子は其の禮を重んじ、小人は其の養を貪る。夫れ嗟來して之を招き、投げて之に與うるは、乞者すら由お取らざるなり。君子茍くも其の禮無ければ、美なりと雖も食わず。故に禮は主人親ら饋せざれば、則ち客祭せず。是れ饋は輕くして禮は重ければなり。
-
論語・公冶長篇子、公冶長を謂いて曰く、『妻すべし。縲絏(るいせつ)の中に在りと雖も、其の罪に非ず。』と。其の子を以て之に妻す。
-
『塩鉄論』刺議篇文學曰く、正を以て人を輔くるを忠と謂い、邪を以て人を導くを佞と謂う。夫れ過ちを怫り善を納るる者は、君の忠臣、大夫の直士なり。孔子曰く、『大夫に爭臣三人有れば、無道なりと雖も、其の家を失わず』と。今子は宰士の列に處り、忠正の心無く、枉がれるを正す能わず、邪を匡す能わず、流れに順いて以て身を容れ、風に從いて以て上を說ばす。上の言う所は則ち茍くも聽き、上の行う所は則ち曲げて從う、影の形に隨い、響の聲に於けるが若し、終に是非する所無し。儒衣を衣、儒冠を冠して、而も其の道を行う能わざるは、其の儒に非ざるなり。譬えば土龍の若し、文章首目具わりて而も龍に非ざるなり。葶歷は菜に似て味殊なり、玉石相い似て類を異にす。子は孔氏の經を執り道を守るの儒に非ず、乃ち公卿面從の儒なり、吾が徒に非ざるなり。冉有季氏の宰と為りて之を附益す、孔子曰く、『小子鼓を鳴らして之を攻めて可なり』と。故に桀を輔くる者は智と為さず、桀の為に斂むる者は仁と為さず。/丞相史默然として對えず。