墨子 / 墨家
墨子(墨家)の名句を、現代語訳と実践の解説つきで。全557句。このページは1〜200句目です。
墨翟(前四七〇頃〜前三九〇頃)とその学派が書き継いだ論集です。『漢書藝文志』は七十一篇と記しますが、十八篇は失われ、いま読めるのは五十三篇。孔子より少しあとの時代に生まれ、儒家と正面から対立して、韓非子が「世の顕学は儒・墨なり」と並べた相手です。ところが秦漢以後は急速に読まれなくなり、清代の考証学が取り上げるまで千年以上も埋もれていました。この書は、性格のまるで違う四つの部分でできています。第一が十論。尚賢・尚同・兼愛・非攻・節用・節葬・天志・明鬼・非楽・非命が、それぞれ上中下の三篇に分かれて説かれます。同じ主張を三度、少しずつ言い方を変えて繰り返すのは、墨家が三派に分かれたためと考えられています。第二が墨経六篇——經上下・經説上下・大取・小取。ここには論理学と幾何学と光学と力学があります。第三が耕柱・貴義・公孟・魯問・公輸の対話篇。第四が備城門から雜守までの守城十一篇で、城を守る技術の実務文書です。墨経は、東アジアの思想史のなかでも特異な位置にあります。「圜、規寫攴也」——円とはコンパスで描くもの。「或不容尺、有窮。莫不容尺、無窮也」——一尺も入らなければ有限、どこまでも入るなら無限。抽象語を、確かめる手続きの形で定義していきます。光が直進すること、針穴を通った像が逆さになること、凹面鏡の像が焦点の内と外で正立と倒立に分かれること。天秤の腕の長さと重さの関係。どれも実験なしには書けない記述です。そして「以言為盡誖、誖、説在其言」——すべての言葉は誤りだと言えば、その言葉自身も誤りになる。自己言及の逆説が、紀元前の中国で扱われています。思想の芯は、判定の基準を先に立てるところにあります。非命篇の三表——過去の事例に根拠があるか、人々が実際に見聞きしているか、施行して民の利になるか。この物差しを、運命論にも礼楽にも戦争にも当てていく。「義,利也」(經上)と言い切り、「功,利民也」と手柄を民の利益で定義する。宝とは何かを問われれば、和氏の璧は人を利さないから宝ではない、義こそ天下の宝だと答える(耕柱)。公輸盤には「義不殺少而殺衆、不可謂知類」——一人は殺さないのに大勢を殺すのは筋が通らない、と迫りました。守城十一篇は、思想書のなかに紛れ込んだ技術文書です。城壁の上には九尺ごとに弩・戟・斧・艾を置き、十歩ごとに三石の水甕、干し飯は一人二斗。大きな甕に薄い革を張って井戸に沈め、耳のよい者に伏せて聴かせて敵の坑道の位置を突き止める。坑道の中には犬を置き、犬が吠えれば人がいる。太鼓の数と旗の本数で敵との距離を伝え、退くときは旗だけ減らして太鼓は打たない。坑道を掘る者は五十人、男女半々。籠城の守備人数は五十歩あたり四百人で、成人女子は男子の二倍に数えられています。非攻を掲げた集団が、これほど具体的な防御の技術を持っていた——その両立が、この学派の性格をよく表しています。底本には二つの系統があります。四庫全書本と四部叢刊本(唐堯臣本系)が字の一致率〇・九六六二、維基文庫の標點本と孫詒讓『墨子閒詁』(道藏本系)が〇・九四五一で、系統をまたぐと〇・九二台まで落ちます。師導は既収録の漢籍と同じく字を四庫全書本に置き、句読点だけを篇ごとに標點本か閒詁のよく揃うほうから機械転写しました(三十九篇が標點本、十四篇が閒詁)。經上・經下だけは標點本が並び順を組み替えているため、旁行の対で読む閒詁を採っています。四部叢刊本と閒詁を証人に立てた突き合わせでは一致率が〇・九七三七と〇・九三〇九。証人二つが揃って別の字を示す箇所が三百二十八ありますが、異体は同値類に足し、残りは異文として直していません。四庫本が辭過篇で約三十八字を落としている箇所も、底本の姿を残す方針から補っていません。師導では現存五十三篇七百五十章を五百五十七の章句に収め、底本九万四百三十七字の百パーセントを覆いました。学派は「墨家」を新設して置いています。『漢書藝文志』も『四庫全書総目』も独立の一家として立てており、兼愛・非攻・尚賢・節用は儒家の親疎の別・礼楽・世襲とそれぞれ真逆で、どの既存の棚にも入らないからです。巻末の守城十一篇は兵家に足がかかりますが、非攻を実行するための防御専門の技術書なので、切り離さず一冊のまま墨家に置きました。

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