墨子 / 兼愛下
《泰誓》曰:「文王若日若月乍照,光于四方,于西土。」即此言文王之兼愛天下之博大也,譬之日月兼照天下之無有私也,即此文王兼也。雖子墨子之所謂兼者,於文王取法焉。
書き下し
泰誓に曰く、「文王は日の若く月の若く乍ち照らし、四方に光り、西土に于てす」と。即ち此れ文王の天下を兼愛するの博大なるを言うなり。之を譬うるに日月の兼ねて天下を照らして私有ること無きがごとし。即ち此れ文王の兼なり。子墨子の謂う所の兼なる者と雖も、文王に於て法を取れり。
現代語訳
『泰誓』にいう。「文王は日のように月のようにたちまち照らし、四方に光り、西の地を照らした」。これは文王が天下を兼ねて愛したその広さを述べている。たとえば日と月が兼ねて天下を照らして、えこひいきが無いようなものだ。これが文王の兼である。墨子のいう兼というものも、文王から手本を取っている。
解説
兼を説明するのに日月の比喩を使います。「兼照天下之無有私也」——あまねく照らして私が無い。法儀篇で天を基準に選んだときの理由(広くて私が無い)と同じ言葉です。墨子の思想は、天・兼愛・尚同のいずれも「私が無いこと」という一点に収斂します。組織の基準を作るとき、それが特定の誰かに有利になっていないかを確かめる物差しになります。
この章句が説くこと
無私日月兼基準公平
関連する章句
-
『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。
-
『墨子』尚賢上是の故に古者、聖王の政を為すや言いて曰く、「義ならざれば富まさず、義ならざれば貴くせず、義ならざれば親しまず、義ならざれば近づけず」と。是を以て國の富貴の人、之を聞きて、皆な退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は富貴なり。今、上、義を舉ぐるに貧賤を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。親しき者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は親なり。今、上、義を舉ぐるに親疎を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。近き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は近なり。今、上、義を舉ぐるに近を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我れ逺きを以て恃む無しと為す。今、上、義を舉ぐるに逺きを辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺鄙郊外の臣、門庭の庶子、國中の衆、四鄙の氓人に逮び至るまで、之を聞きて皆な競いて義を為す。
-
老子・第5章天地は不仁、万物を以て芻狗と為す。聖人は不仁、百姓を以て芻狗と為す。天地の間は、其れ猶お橐籥のごときか。虚しくして屈きず、動きて愈々出づ。多言なれば数々窮す、中を守るに如かず。
-
『格言聯璧』處事類・己の事を謀ること人の事の如くす人に代りて事を做すには、極めて迂滯に耐へ得、反覆に耐へ得、瑣碎に耐へ得るを要す。 人の事を謀ること己の事の如くにして、而る後に之を慮ること審らかなり。 己の事を謀ること人の事の如くにして、而る後に之を見ること明らかなり。 心無き者は公に、我無き者は明らかなり。
-
呂氏春秋・貴公①昔、先聖王の天下を治むるや、必ず公を先にす。公ならば則ち天下平らかなり。平らかなるは公より得。嘗試に上志を觀るに、天下を得ること有る者衆し。其の之を得るは公を以てし、其の之を失うは必ず偏を以てす。凡そ主の立つや、公より生ず。故に鴻範に曰く、「偏する無く黨する無く、王道蕩蕩たり。偏する無く頗する無く、王の義に遵え。好を作すこと或る無く、王の道に遵え。惡を作すこと或る無く、王の路に遵え。」
-
『墨子』尚賢中然らば則ち親しくして不善なるに以て其の罰を得たる者は誰ぞや。曰く、昔者の伯鯀の若き、帝の元子にして、帝の徳庸を廢す。既にして乃ち之を羽の郊に刑し、乃ち熱照も及ぶこと有る無し。帝も亦た愛せず。則ち此れ親しくして不善なるに以て其の罰を得たる者なり。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る