墨子 / 天志上
然則何以知天之愛天下之百姓?以其兼而明之。何以知其兼而明之?以其兼而有之。何以知其兼而有之?以其兼而食焉。何以知其兼而食焉?曰:四海之内,粒食之民,莫不犓牛羊、豢犬彘,潔為粢盛酒醴,以祭祀於上帝鬼神。天有兼食何用弗愛也?且吾言殺一不辜者,必有一不祥。殺不辜者誰也?則人也。予之不祥者誰也?則天也。若以天為不愛天下之百姓,則何故以人與人相殺,而天予之不祥?此我所以知天之愛天下之百姓也。
新字:然則何以知天之愛天下之百姓?以其兼而明之。何以知其兼而明之?以其兼而有之。何以知其兼而有之?以其兼而食焉。何以知其兼而食焉?曰:四海之内,粒食之民,莫不犓牛羊、豢犬彘,潔為粢盛酒醴,以祭祀於上帝鬼神。天有兼食何用弗愛也?且吾言殺一不辜者,必有一不祥。殺不辜者誰也?則人也。予之不祥者誰也?則天也。若以天為不愛天下之百姓,則何故以人与人相殺,而天予之不祥?此我所以知天之愛天下之百姓也。
書き下し
然らば則ち何を以て天の天下の百姓を愛するを知るや。其の兼ねて之を明らかにするを以てなり。何を以て其の兼ねて之を明らかにするを知るや。其の兼ねて之を有つを以てなり。何を以て其の兼ねて之を有つを知るや。其の兼ねて焉に食むを以てなり。何を以て其の兼ねて焉に食むを知るや。曰く、四海の内、粒食の民、牛羊を犓い、犬彘を豢い、潔く粢盛酒醴を為りて、以て上帝鬼神に祭祀せざる莫し。天に兼食有り、何を用てか愛せざらんや。且つ吾れ言う、一の不辜を殺す者は、必ず一の不祥有りと。不辜を殺す者は誰ぞや。則ち人なり。之に不祥を予うる者は誰ぞや。則ち天なり。若し天を以て天下の百姓を愛せずと為さば、則ち何の故に人と人と相い殺すを以て、天、之に不祥を予うるや。此れ我が天の天下の百姓を愛するを知る所以なり。
現代語訳
では、なぜ天が天下の民を愛していると分かるのか。天が兼ねてすべてを明らかにしているからである。なぜ兼ねて明らかにしていると分かるのか。兼ねてすべてを保っているからである。なぜ兼ねて保っていると分かるのか。兼ねてすべてから供物を受けているからである。なぜ兼ねて受けていると分かるのか。四海の内、穀物を食べる民は、牛羊を飼い犬豚を養い、清らかに供物と酒を整えて上帝と鬼神を祭らない者がいないからである。天が兼ねて受けているのに、どうして愛さないことがあろうか。また私はこう言った。罪の無い一人を殺す者には、必ず一つの不祥がある、と。罪の無い者を殺すのは誰か。人である。それに不祥を与えるのは誰か。天である。もし天が天下の民を愛していないなら、なぜ人が人を殺したときに天が不祥を与えるのか。これが、天が天下の民を愛していると私が判断する理由である。
解説
この章句が説くこと
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『大和俗訓』巻之三・心術上一人にまじはるに愛敬の二を心法とす。是簡要のことなり。誰も知らずんばあるべからず。愛とは人をあはれむを云ふ。悪まざるなり。敬とは人をうやまふを云ふ。侮らざるなり。人をあはれむは仁なり。人を敬ふは礼なり。仁礼を心の内にたもちて、人をあはれみ、人をうやまふ事、わするべからず。是人に対して行ふべき善なり。父母をあはれみ、主君をうやまふは、いふに及ばず、うとき人、いやしき人に対すとも、其位にしたがひて、よきほどに愛敬すべし。侮りおろそかにすべからず。是人にまじはる道なり。
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