墨子 / 非攻中
子墨子言曰:「雖四五國則得利焉,猶謂之非行道也。譬若醫之藥人之有病者然。今有醫於此,和合其藥於天下之有病者而藥之,萬人食此,若醫四五人得利焉,猶謂之非行藥也。故孝子不以食其親,忠臣不以食其君。
新字:子墨子言曰:「雖四五国則得利焉,猶謂之非行道也。譬若医之薬人之有病者然。今有医於此,和合其薬於天下之有病者而薬之,万人食此,若医四五人得利焉,猶謂之非行薬也。故孝子不以食其親,忠臣不以食其君。
書き下し
子墨子言いて曰く、「四五國は則ち利を得たりと雖も、猶お之を道を行うに非ずと謂うなり。譬えば醫の人の病有る者に藥するが若く然り。今、醫此に有り、其の藥を和合して天下の病有る者に之を藥す。萬人、此を食らいて、若し醫、四五人、利を得ば、猶お之を藥を行うに非ずと謂うなり。故に孝子は以て其の親に食わしめず、忠臣は以て其の君に食わしめず。
現代語訳
墨子が言った。「四つか五つの国が利を得たとしても、それを道を行っているとは言わない。たとえば医者が病人に薬を与えるようなものだ。いまここに医者がいて、薬を調合して天下の病人に与える。一万人がこれを飲んで、そのうち四人か五人に効いたとしても、それを薬を用いているとは言わない。だから孝子はそれを親には飲ませず、忠臣はそれを君には飲ませない」。
解説
生存者バイアスへの反論を、薬の効き目という形で示します。一万人に投与して四五人に効く。効いた例はたしかにあるが、それを薬とは呼ばない。ここで挙がる分母の大きさが決定的です。成功例の数ではなく、試した総数で判断せよ。しかも締めが実務的で、孝子は親に飲ませず、忠臣は君に飲ませない——本当に大事な人には使わないもの、という判定法になっています。
この章句が説くこと
生存者バイアス分母薬判定成功例
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