墨子 / 親士
入國而不存其士,則亡國矣;見賢而不急,則緩其君矣。非賢無急,非士無與慮國。緩賢忘士而能以其國存者,未曽有也。
新字:入国而不存其士,則亡国矣;見賢而不急,則緩其君矣。非賢無急,非士無与慮国。緩賢忘士而能以其国存者,未曽有也。
書き下し
國に入りて其の士を存せざれば、則ち國を亡ぼさん。賢を見て急がざれば、則ち其の君を緩くせん。賢に非ざれば急ぐこと無く、士に非ざれば與に國を慮ること無し。賢を緩くし士を忘れて、能く其の國を以て存する者は、未だ曽て有らざるなり。
現代語訳
ある国に入って、そこに優れた人材が留め置かれていないなら、その国は滅ぶ。賢者を見つけながら登用を急がないなら、その君主の力はゆるむ。賢者でなければ急いで求めるには値せず、士でなければ国のことを共に考える相手にならない。賢者を後回しにし、士を忘れておきながら、それでも国を保てた例は、いまだかつて一つも無い。
解説
『墨子』全五十三篇の最初の一句が、思想でも祈りでもなく人事から始まります。国の強さを城でも財でもなく「誰が残っているか」で測る、という宣言です。注意したいのは「見賢而不急」——見つけていないのではなく、見つけたのに急がない状態を名指ししている点です。人材の不在よりも、認識しているのに動かない遅さのほうを危険だと見ています。
この章句が説くこと
人材登用賢者士組織の存続
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『弁名』智夫れ人の人を知るは、各々其の倫に於てす。唯だ聖は聖を知り、賢は賢を知る。人の才為る、相倍蓰し、相什佰千万す。則ち賢者の知り難き、豈に宜ならずや。況んや我其の賢に及ばずして能く之を知る、高宗の傅説に於ける、桓公の管仲に於けるが如き、難しと謂はざるべけんや。爾らずんば、堯の鯀に於ける、徒に其の才を知りて其の悪を知らず、之を人を知らずと謂ひて可ならんや。故に堯の人を知るは、舜を知るに在りて、鯀を知るに在らず。古の道爾りと為す。後の学者斯の義に昧くして、悉く其の長短得失を知りて、其の藻鑑を逃るる所無からしめんと欲す。是れ曹孟徳の尚ぶ所のみ。豈に古の道ならんや。
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『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。

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