墨子 / 兼愛下
子墨子曰:非人者,必有以易之。若非人而無以易之,譬之猶以火救水也,其説將必無可焉。是故子墨子曰:兼以易别。然即兼之可以易别之故何也?曰:藉為人之國若為其國,夫誰獨舉其國以攻人之國者哉?為彼者由為巳也。為人之都若為其都,夫誰獨舉其都以伐人之都者哉?為彼猶為巳也。為人之家若為其家,夫誰獨舉其家以亂人之家者哉?為彼猶為巳也。然即國都不相攻伐,人家不相亂賊,此天下之害與?天下之利與?即必曰天下之利也。姑嘗本原若衆利之所自生,此胡自生?此自惡人、賊人生與?即必曰非然也,必曰從愛人、利人生。分名乎天下愛人而利人者,别與?兼與?即必曰兼也。然即之交兼者,果生天下之大利者與?是故子墨子曰:兼是也。
新字:子墨子曰:非人者,必有以易之。若非人而無以易之,譬之猶以火救水也,其説将必無可焉。是故子墨子曰:兼以易別。然即兼之可以易別之故何也?曰:藉為人之国若為其国,夫誰独舉其国以攻人之国者哉?為彼者由為巳也。為人之都若為其都,夫誰独舉其都以伐人之都者哉?為彼猶為巳也。為人之家若為其家,夫誰独舉其家以乱人之家者哉?為彼猶為巳也。然即国都不相攻伐,人家不相乱賊,此天下之害与?天下之利与?即必曰天下之利也。姑嘗本原若衆利之所自生,此胡自生?此自悪人、賊人生与?即必曰非然也,必曰従愛人、利人生。分名乎天下愛人而利人者,別与?兼与?即必曰兼也。然即之交兼者,果生天下之大利者与?是故子墨子曰:兼是也。
書き下し
子墨子曰く、人を非とする者は、必ず以て之に易うる有り。若し人を非として以て之に易うる無くんば、之を譬うるに猶お火を以て水を救うがごときなり。其の説、將に必ず可なる無からん。是の故に子墨子曰く、兼を以て别に易う。然らば即ち兼の以て别に易う可きの故は何ぞや。曰く、藉し人の國を為むること其の國を為むるが若くんば、夫れ誰か獨り其の國を舉げて以て人の國を攻むる者あらんや。彼が為にするは巳が為にするに由るなり。人の都を為むること其の都を為むるが若くんば、夫れ誰か獨り其の都を舉げて以て人の都を伐つ者あらんや。彼が為にするは猶お巳が為にするがごとし。人の家を為むること其の家を為むるが若くんば、夫れ誰か獨り其の家を舉げて以て人の家を亂す者あらんや。彼が為にするは猶お巳が為にするがごとし。然らば即ち國都、相い攻伐せず、人家、相い亂賊せざるは、此れ天下の害か、天下の利か。即ち必ず天下の利なりと曰わん。姑く嘗みに若の衆利の自り生ずる所を本原せんに、此れ胡自り生ずるか。此れ人を惡み人を賊うより生ずるか。即ち必ず然らずと曰わん。必ず人を愛し人を利するより生ずと曰わん。天下に名を分かつに、人を愛して人を利する者は、别か、兼か。即ち必ず兼なりと曰わん。然らば即ち之の交ごも兼する者は、果たして天下の大利を生ずる者か。是の故に子墨子曰く、兼は是なり。
現代語訳
墨子が言った。人を否定するなら、必ずそれに代わるものを出さねばならない。もし否定しておいて代わりを出さないなら、火で水を消そうとするようなもので、その説は必ず成り立たない。だから墨子は言う、兼をもって別に取り替える。では兼が別に取り替えられる理由は何か。もし他人の国を治めることを自分の国を治めるようにすれば、誰が国を挙げて他人の国を攻めるだろうか。相手のためにすることが、自分のためにすることになるからだ。他人の都を治めることを自分の都を治めるようにすれば、誰が都を挙げて他人の都を伐つだろうか。相手のためにすることが自分のためにすることと同じだからだ。他人の家を治めることを自分の家を治めるようにすれば、誰が家を挙げて他人の家を乱すだろうか。相手のためにすることが自分のためにすることと同じだからだ。とすれば、国や都が攻め合わず、家々が乱し合わないのは、天下の害か、天下の利か。必ず天下の利だと言うだろう。しばらくこれらの利がどこから生じるかを根本から探ってみよう。これは人を憎み人を害することから生じるのか。必ず、そうではないと言うだろう。必ず、人を愛し人を利することから生じると言うだろう。天下で名を分けるなら、人を愛し人を利する者は、別か、兼か。必ず兼だと言うだろう。とすれば、この互いに兼ねる者こそ天下の大利を生む者ではないか。だから墨子は言う、兼は是である。
解説
この章句が説くこと
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