墨子 / 兼愛下
然即敢問:今嵗有癘疫,萬民多有勤苦凍餒,轉死溝壑中者,既已衆矣。不識將擇之二君者,將何從也?我以為當其於此也,天下無愚夫愚婦,雖非兼君,必從兼君是也。言而非兼,擇即此言行拂也,不識天下所以皆聞兼而非之者,其故何也?
新字:然即敢問:今歳有癘疫,万民多有勤苦凍餒,転死溝壑中者,既已衆矣。不識将択之二君者,将何従也?我以為当其於此也,天下無愚夫愚婦,雖非兼君,必従兼君是也。言而非兼,択即此言行払也,不識天下所以皆聞兼而非之者,其故何也?
書き下し
然らば即ち敢えて問う。今、嵗に癘疫有り、萬民、多く勤苦凍餒有りて、溝壑の中に轉死する者、既已に衆し。識らず、將に之の二君を擇ばんとするに、將に何にか從わんとするや。我れ以て其の此に於けるに當たりては、天下に愚夫愚婦無く、兼君を非とすと雖も、必ず兼君に從うを是と為さん。言いて兼を非とし、擇びては即ち此れ言行の拂うなり。識らず、天下の皆な兼を聞きて之を非とする所以の者は、其の故、何ぞや。
現代語訳
では敢えて問う。いま疫病の流行る年があり、万民の多くが辛苦し凍え飢えて、溝や谷に転がって死ぬ者がもう大勢いる。さて、この二人の君を選ぶとしたら、どちらに従うだろうか。思うに、この場面になれば、天下に愚かな男も愚かな女もいない。兼を執る君を否定する者であっても、必ず兼を執る君に従うのを是とするだろう。口では兼を否定しながら、選ぶ段になればこうなる。これは言葉と行いが背いているということだ。分からないのは、天下がみな兼を聞いてそれを否定するのは、いったいなぜなのか、ということである。
解説
士の場面が「家族を預けるとき」だったのに対し、君の場面は「疫病の年」です。どちらも、平時ではなく危機のときに人は本当の基準で選ぶ、という設定になっています。理屈で兼を否定する人も、危機になれば兼を執る側を選ぶ。ここでも「言而非兼、擇即此言行拂也」と同じ一句で締めます。平時の議論と危機の選択が食い違うなら、正しいのは危機の選択のほうだ、という含みです。
この章句が説くこと
危機選択本音兼言行
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