墨子 / 節葬下
今執厚葬久喪者之言曰:厚葬久喪雖使不可以富貧、衆寡、定危、治亂,然此聖王之道也。子墨子曰:不然。昔者堯北教乎八狄,道死,葬鞏山之隂。衣衾三領,榖木之棺,葛以緘之,既而後哭,滿埳無封。已葬,而牛馬乗之。舜西教乎七戎,道死,葬南已之市。衣衾三領,榖木之棺,葛以緘之。已葬,而市人乗之。禹東教乎九夷,道死,葬㑹稽之山,衣衾三領,桐棺三寸,葛以緘之,絞之不合,道之不塪土地之深,下毋及泉,上毋通臭。既葬,收餘壤其上,壟若參耕之畝,取止矣。若以此若三聖王者觀之,則厚葬久喪果非聖王之道。故三王者,皆貴為天子,富有天下,豈憂財用之不足哉?以為如此葬埋之法。
新字:今執厚葬久喪者之言曰:厚葬久喪雖使不可以富貧、衆寡、定危、治乱,然此聖王之道也。子墨子曰:不然。昔者堯北教乎八狄,道死,葬鞏山之陰。衣衾三領,榖木之棺,葛以緘之,既而後哭,満埳無封。已葬,而牛馬乗之。舜西教乎七戎,道死,葬南已之市。衣衾三領,榖木之棺,葛以緘之。已葬,而市人乗之。禹東教乎九夷,道死,葬会稽之山,衣衾三領,桐棺三寸,葛以緘之,絞之不合,道之不塪土地之深,下毋及泉,上毋通臭。既葬,収余壤其上,壟若参耕之畝,取止矣。若以此若三聖王者観之,則厚葬久喪果非聖王之道。故三王者,皆貴為天子,富有天下,豈憂財用之不足哉?以為如此葬埋之法。
書き下し
今、厚葬久喪を執る者の言に曰く、厚葬久喪は不可以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からずと使むと雖も、然れども此れ聖王の道なり、と。子墨子曰く、然らず。昔者、堯、北のかた八狄に教え、道に死し、鞏山の隂に葬らる。衣衾は三領、榖木の棺、葛以て之を緘し、既にして後に哭し、埳を滿たして封無し。已に葬れば、牛馬、之に乗る。舜、西のかた七戎に教え、道に死し、南已の市に葬らる。衣衾は三領、榖木の棺、葛以て之を緘す。已に葬れば、市人、之に乗る。禹、東のかた九夷に教え、道に死し、㑹稽の山に葬らる。衣衾は三領、桐棺は三寸、葛以て之を緘し、之を絞りて合わせず、之を道びきて塪せず、土地の深さは、下は泉に及ぶ毋く、上は臭を通ずる毋し。既に葬れば、餘壤を其の上に收め、壟は參耕の畝の若くして、止まるを取るのみ。若し此の若の三聖王を以て之を觀れば、則ち厚葬久喪は果たして聖王の道に非ず。故に三王なる者は、皆な貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。豈に財用の足らざるを憂えんや。以為えらく此くの如きは葬埋の法なりと。
現代語訳
いま手厚い葬儀と長い喪を主張する者はこう言う。「手厚い葬儀と長い喪が、貧しさを富ませず、少なさを多くせず、危うさを定めず、乱れを治められないとしても、これは聖王の道である」。墨子が言った。そうではない。むかし堯は北方の八狄に教えに行き、道中で死んで鞏山の北側に葬られた。衣は三そろい、榖の木の棺、葛で結び、それから泣き、穴を埋めて盛り土をしなかった。葬ったあとは牛馬がその上を通った。舜は西方の七戎に教えに行き、道中で死んで南已の市に葬られた。衣は三そろい、榖の木の棺、葛で結んだ。葬ったあとは市の人がその上を通った。禹は東方の九夷に教えに行き、道中で死んで会稽山に葬られた。衣は三そろい、桐の棺は厚さ三寸、葛で結び、しめても合わせず、通してもふさがず、土の深さは下が泉に届かず上はにおいが漏れない程度。葬ったあと余った土をその上に収め、盛り土は三度耕した畝ほどでとどめた。この三人の聖王から見れば、手厚い葬儀と長い喪は聖王の道ではない。この三王はみな天子として貴く、天下を持つほど富んでいた。財が足りないことを憂えただろうか。そうではなく、これが埋葬の作法だと考えたのだ。
解説
この章句が説くこと
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