墨子 / 尚同中
夫既尚同乎天子,而未尚同乎天者,則天菑將猶未止也。故若天降寒熱不節,霜雪雨露不時,五榖不熟六畜不遂,疾菑戾疫,飄風苦雨,荐臻而至者,此天之降罰也,將以罰下人之不尚同乎天者也。
新字:夫既尚同乎天子,而未尚同乎天者,則天菑将猶未止也。故若天降寒熱不節,霜雪雨露不時,五榖不熟六畜不遂,疾菑戻疫,飄風苦雨,荐臻而至者,此天之降罰也,将以罰下人之不尚同乎天者也。
書き下し
夫れ既に天子に尚同するも、未だ天に尚同せざる者は、則ち天菑、將に猶お未だ止まざらんとするなり。故に若し天、寒熱を降すこと節ならず、霜雪雨露、時ならず、五榖熟せず六畜遂げず、疾菑戾疫、飄風苦雨、荐臻して至る者は、此れ天の罰を降すなり。將に以て下人の天に尚同せざるを罰せんとするなり。
現代語訳
天子に揃えていても、まだ天に揃っていない者がいれば、天の災いはまだやまない。だから天が寒暑を不順に降し、霜・雪・雨・露が時に外れ、五穀が実らず家畜が育たず、疫病や災害、つむじ風や長雨が重ねてやってくるのは、天が罰を降しているのである。下の人が天に揃っていないことを罰しようとしているのだ。
解説
上篇と同じく、天子の上に天が置かれます。中篇ではその罰の内容が具体的で、気候の不順、不作、疫病と並びます。当時の理解では自然災害が天の意思の表現でしたが、構造として見れば、人の階層の最上位を超えたところに評価軸を置くという設計です。天子に揃うことが完成ではない。組織の内部で全員が一致していても、外側の現実に合っていなければ結果は出ない、と読み替えられます。
この章句が説くこと
天外部限界災い一致だけでは足りない
関連する章句
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『墨子』尚同上天下の百姓、皆な天に上同するも、一にして天に上同せざれば、則ち菑、猶お未だ去らざるなり。今、若し天、飄風苦雨、湊湊として至る者は、此れ天の百姓の天に上同せざるを罰する所以の者なり。
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『墨子』天志上然らば則ち禹湯文武の其の賞を得たるは何を以てなるや。子墨子言いて曰く、其の事、上は天を尊び、中は鬼神に事え、下は人を愛す。故に天意に曰く、「此れ之れ我が愛する所、兼ねて之を愛し、我が利する所、兼ねて之を利す。人を愛する者、此れ博しと為し、人を利する者、此れ厚しと為す」と。故に貴きこと天子と為し、富は天下を有ち、萬世の子孫に業せしむ。傳えて其の善を稱し、方く天下に施し、今に至るまで之を稱し、之を聖王と謂う。然らば則ち桀紂幽厲の其の罰を得たるは何を以てなるや。子墨子言いて曰く、其の事、上は天を詬り、中は鬼を誣い、下は人を賤しむ。故に天意に曰く、「此れ之れ我が愛する所、别ちて之を惡み、我が利する所、交ごも之を賊う。人を惡む者、此れ之を博しと為し、人を賊う者、此れ之を厚しと為す」と。故に其の夀を終うるを得ず、其の世を殁えず、今に至るまで之を毁り、之を暴王と謂う。
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言志四録・南洲手抄生物は皆死を畏る。人は其れ霊なり、当に死を畏るるの中より死を畏れざるの理を揀び出すべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の権は天に在り、当に之を順受すべし。我れの生るるや自然にして生る、生るる時未だ嘗て喜ぶことを知らず。則ち我の死するや応に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を死す、一に天に聴さんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殻は則ち天を蔵むるの室なり。精気の物と為るや、天此の室に寓す。遊魂の変を為すや、天此の室を離る。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而して吾が性の性たる所以は、恒に死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ昼夜は一理なり、幽明は一理なり。始めを原ねて終りに反らば、死生の理を知る、何ぞ其の易簡にして明白なるや。吾人は当に此の理を以て自省すべし。
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