墨子 / 兼愛中
昔者文王之治西土,若日若月,乍光於四方,于西土,不為大國侮小國,不為衆庶侮鰥寡,不為暴勢奪穡人黍稷狗彘。天屑臨文王慈,是以老而無子者,有所得終其夀;運獨無兄弟者,有所雜於生人之間;少失其父母者,有所放依而長。此文王之事,則吾今行兼矣。昔者武王將事泰山,隧,傳曰:「泰山!有道曽孫周王有事,大事既獲,仁人尚作,以祗商夏蠻夷醜貉。雖有周親,不若仁人,萬方有罪,維予一人。」此言武王之事,吾今行兼矣。
新字:昔者文王之治西土,若日若月,乍光於四方,于西土,不為大国侮小国,不為衆庶侮鰥寡,不為暴勢奪穡人黍稷狗彘。天屑臨文王慈,是以老而無子者,有所得終其寿;運独無兄弟者,有所雑於生人之間;少失其父母者,有所放依而長。此文王之事,則吾今行兼矣。昔者武王将事泰山,隧,伝曰:「泰山!有道曽孫周王有事,大事既獲,仁人尚作,以祗商夏蠻夷醜貉。雖有周親,不若仁人,万方有罪,維予一人。」此言武王之事,吾今行兼矣。
書き下し
昔者、文王の西土を治むるや、日の若く月の若く、乍ち四方に光り、西土に于てす。大國を為して小國を侮らず、衆庶を為して鰥寡を侮らず、暴勢を為して穡人の黍稷狗彘を奪わず。天、屑みて文王の慈を臨む。是を以て老いて子無き者は、其の夀を終うるを得る所有り、獨りにして兄弟無き者は、生人の間に雜わる所有り、少くして其の父母を失う者は、放依して長ずる所有り。此れ文王の事なれば、則ち吾れ今、兼を行わん。昔者、武王、將に泰山に事えんとし、隧む。傳に曰く、「泰山よ、道有る曽孫周王、事有り。大事既に獲て、仁人尚く作り、以て商夏蠻夷醜貉を祗む。周親有りと雖も、仁人に若かず。萬方に罪有らば、維れ予れ一人」と。此れ武王の事を言う。吾れ今、兼を行わん。
現代語訳
むかし文王が西の地を治めたとき、日のように月のように、たちまち四方に光が及び、西の地を照らした。大国だからといって小国を侮らず、人数が多いからといって身寄りのない者を侮らず、権勢があるからといって農民の穀物や犬や豚を奪わなかった。天は文王の慈しみを認めて見守った。だから老いて子の無い者は寿命を全うでき、独りで兄弟の無い者は人々のあいだに交わる場を得、幼くして父母を失った者は寄る辺を得て育った。これが文王のなしたことである。私は今、兼を行おうというのだ。むかし武王が泰山を祭ろうとして進んだ。伝えにいう。「泰山よ、道ある曽孫の周王に事があります。大事はすでに成り、仁ある人が高く立って、商・夏・蛮夷・醜貉を敬い治めます。周の親族がいても、仁ある人には及びません。万方に罪があれば、それは私ひとりの責めです」。これは武王のなしたことを述べている。私は今、兼を行おうというのだ。
解説
この章句が説くこと
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『塩鉄論』伐功篇文學曰く、古の師を用うるは、壤土の利を貪るに非ず、民の患いを救うなり。民之を思うこと、旱の雨を望むが若く、簞食壺漿して、以て王師を逆う。故に人の患いを憂うる者は、民一心にして之に歸す。湯・武是れなり。民の死を愛まず、力盡きて潰叛せらるる者は、秦王是れなり。孟子曰く、「君、道に鄉わず、仁義に由らずして、之が為に強いて戰わば、克つと雖も必ず亡ぶ」と。此れ中國の擾亂せし所以にして、蒙恬死して諸侯秦に叛きしに非ず。昔、周室の盛んなるや、越裳氏來り獻じ、百蠻貢を致す。其の後、周衰えて諸侯力征し、蠻・貊分散して、各々聚黨有り、能く相一なる莫し。是を以て燕・趙意を得ること能えり。其の後、匈奴稍く強く、諸侯を蠶食す。故に月氏を破り走らせ、兵威に因りて小國を徙し、引弓の民、幷せて一家と為り、意を一にし力を同じくす。故に制し難きなり。前に君、先帝の為に匈奴の策を畫きて曰く、「兵を西域に據え、之が便勢の地を奪い、以て其の變を候たん。漢の強きを以て、匈奴の眾を攻むるは、強弩を以て癰疽を潰るが若し。越の吳を禽にせしも、豈に道うに足らんや」と。上以て然りと為す。君の義を用い、君の計を聽くこと、越王の種・蠡に任ずるも過ぎず。搜粟都尉を以て御史大夫と為し、政を持すること十有餘年。未だ種・蠡の功を見ずして、而も靡弊の效を見る。匈奴は為に俛を加えずして、百姓黎民は以て敝れたり。是れ君の策、匈奴を弱むる能わずして、反って中國を衰えしむるなり。善く計を為す者、固より此くの若きか。
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