墨子 / 尚賢上
故古者堯舉舜於服澤之陽,授之政,天下平;禹舉益於隂方之中,授之政,九州成;湯舉伊尹於庖厨之中,授之政,其謀得;文王舉閎夭、泰顛於罝罔之中,授之政,西土服。故當是時,雖在於厚祿尊位之臣,莫不敬懼而施;雖在農與工肆之人,莫不競勸而尚意。故士者,所以為輔相承嗣也。故得士則謀不困,體不勞,名立而功業彰而惡不生,則由得士也。
新字:故古者堯舉舜於服沢之陽,授之政,天下平;禹舉益於陰方之中,授之政,九州成;湯舉伊尹於庖厨之中,授之政,其謀得;文王舉閎夭、泰顛於罝罔之中,授之政,西土服。故当是時,雖在於厚禄尊位之臣,莫不敬懼而施;雖在農与工肆之人,莫不競勧而尚意。故士者,所以為輔相承嗣也。故得士則謀不困,体不労,名立而功業彰而悪不生,則由得士也。
書き下し
故に古者、堯は舜を服澤の陽に舉げ、之に政を授けて、天下平らかなり。禹は益を隂方の中に舉げ、之に政を授けて、九州成る。湯は伊尹を庖厨の中に舉げ、之に政を授けて、其の謀得たり。文王は閎夭・泰顛を罝罔の中に舉げ、之に政を授けて、西土服す。故に是の時に當たりて、厚祿尊位の臣に在りと雖も、敬い懼れて施さざる莫く、農と工肆の人に在りと雖も、競い勸みて意を尚ばざる莫し。故に士なる者は、輔相承嗣を為す所以なり。故に士を得れば則ち謀困しまず、體勞れず、名立ちて功業彰れて惡生ぜず。則ち士を得るに由るなり。
現代語訳
だから昔、堯は舜を服沢のほとりから登用し、政治を授けて天下は平らかになった。禹は益を陰方の中から登用し、政治を授けて九州は成った。湯は伊尹を厨房の中から登用し、政治を授けてその謀は当たった。文王は閎夭と泰顛を狩りの網の中から登用し、政治を授けて西の地は従った。だからこの時代には、厚い俸禄と高い位にある臣も、敬い畏れて手を尽くさない者はなく、農民や職人や商人も、競い励んで志を高くしない者はなかった。だから士とは、補佐し後を継ぐ者である。だから士を得れば謀は行き詰まらず、身体は疲れず、名は立ち功業は現れ、悪いことは起きない。それはみな士を得たからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第十四一上の剛强成る男の仕形は、平生も陣の時は猶ほ以て人にもかまはず働き、前にも我しはざを分別にて工夫し、其塲へ出ては機のきいたる才覚を以て手抦をせんと思ふより、人にも一円搆はぬ者なり、二中の機のきいたる男は上の人に負けまじと機をきいて馳り廻り、上の人におとりて見へぬ者なり、三下の男は只の儀もなく上中の人がゆかば、我等もまいらんとて、ふたりの人に目をつけてつきそひまはる者なり、四其外の男は皆人なみと申すなり、上の男は侍百人の中にふたり、中の男は百人の内に六人、下の男は百人の中に十二人、残て八十人は並なり、
-
『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
-
尉繚子・武議兵を起こして直ちに甲冑をして蟣蝨(きしつ)を生ぜしむる者は、必ず吾が効用を為す所なり。鷙鳥の雀を逐ふに、人の懐を襲ひ、人の室に入る者有るは、生を出だすに非ざるなり、後ろに憚る有ればなり。太公望、年七十にして、牛を朝歌に屠り、食を盟津に売り、七十余を過ぐるも主聴かず、人人之を狂夫と謂ふなり。文王に遇ふに及びては、則ち三万の衆を提げ、一戦して天下定まる、武議に非ずんば安くんぞ能く此に合はんや。故に曰く、
-
『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又役人を年久しく役換をさせねは、述懐することなく、其の役に器量相応にて、能く役儀のことを取り捌く人を外の役に替ふることは惜きことなり、是によりて一役に久しく仕置きて役換を申付ぬ時、加增か官位この外仕方なし、是上より下へ賜はりて下たるものに、勇まする道具少き故人を使ふに行支なるなり、町奉行、盗賊奉行なとをする人、役儀を能く勤めて外の役に換へ措しけれと、加增も度々はやられす、是非なく大目付などに役換をさせて、外の人を後役に申付たるとき、幾人申付けても初め大目付に役換をさせたる人の如き人なからんとき、又其人を元役に返すこと後へ歩むことなれは申付け難し、是は譬なり、外の役儀にも箇様なることあるへし、此差支皆な一役一席に立てたるより起りたるなり、
-
『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
-
『甲陽軍鑑』品第十一一年前代駿河にて今川義元公の時、山本勘介三河国牛くほより今川殿へ奉公の望に参るといへども、彼山本勘介散々夫男にて、其上一眼指も不叶、足はちんばなり、然れども大剛の者なれば義元公へめしおかるゝ様にと広原勘介が宿成る故、おとなの朝比奈兵衛の尉をもつて申上げるは、彼の山本勘介大剛の者なり、殊更城とり陣取り一切の軍法を能く鍛練いたす、京流の兵法も上手なり、軍配をも存知仕つりたる者なりと申せとも、義元公かこへましまさず、駿河にてモヽ味の人の取りがといの山形は第一片輪者数取り服なり其法は其最を人数もとたずして何とて左様の義存ぜん、今川殿へ奉公に出て度きとて虚言を云ふなりと各申すにより、

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る