墨子 / 節用中
古者聖王制為衣服之法曰:「冬服紺緅之衣輕且暖,夏服絺綌之衣輕且凊,則止諸。」加費不加于民利者,聖王弗為。
新字:古者聖王制為衣服之法曰:「冬服紺緅之衣軽且暖,夏服絺綌之衣軽且凊,則止諸。」加費不加于民利者,聖王弗為。
書き下し
古者、聖王、制して衣服の法を為りて曰く、「冬は紺緅の衣を服て輕くして且つ暖かく、夏は絺綌の衣を服て輕くして且つ凊しければ、則ち諸を止む」と。費を加えて民の利に加えざる者は、聖王、為さず。
現代語訳
むかし聖王は衣服の法を定めてこう言った。「冬は紺や赤黒の衣を着て軽く暖かく、夏は葛布の衣を着て軽く涼しければ、そこで止める」。費用を加えて民の利を加えないことは、聖王は行わなかった。
解説
節用中篇では「加費不加于民利者、聖王弗為」という一句が、衣服・武具・舟・葬・住居のそれぞれの末尾に判で押したように繰り返されます。分野ごとに基準を作り直すのではなく、同じ一行をあらゆる分野に当てる。判定基準を増やさないことが、この篇の設計思想です。基準が一つなら、誰でも同じ結論に達せます。
この章句が説くこと
基準統一費用対効果止める節用
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『墨子』辭過子墨子曰く、古の民、未だ宫を為るを知らざる時、陵阜に就きて以て居り、穴して處る。下、潤濕にして民を傷る。故に聖王、作りて宫室を為る。宫室を為るの法に曰く、髙さは以て潤濕を辟くるに足り、邊は以て風寒を圉ぐに足り、上は以て雪霜雨露を待つに足り、宫牆の髙さは、以て男女の禮を别つに足る。謹んで此に止まり、財を費やし力を勞して利を加えざる者は、為さざるなり。是の故に聖王の宫室を作り為るは、生に使するにして、以て觀樂を為さざるなり。衣服・帯履を作り為るは、身に便なるにして、以て辟怪を為さざるなり。故に身に節し、民に誨う。是を以て天下の民、得て治む可く、財用、得て足る可し。今の主に當たりては、其の宫室を為るや則ち此と異なれり。必ず厚く百姓に作斂し、暴かに民の衣食の財を奪いて、以て宫室・臺榭・曲直の望、青黄刻鏤の飾りを為る。宫室を為ること此くの若し。故に左右皆な之に法象す。是を以て其の財、以て凶饑を待ち孤寡を賑わすに足らず。故に國貧しくして民治め難きなり。君、實に天下の治を欲して其の亂を惡まば、當に宫室を為るは節せざる可からず。
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『墨子』尚同上鄉長なる者は、鄉の仁人なり。鄉長、政を鄉の百姓に發して、言いて曰く、「善と不善とを聞く者は、必ず以て國君に告げよ。國君の是とする所は必ず皆な之を是とし、國君の非とする所は必ず皆な之を非とせよ。若の不善の言を去りて、國君の善言を學び、若の不善の行を去りて、國君の善行を學べ」と。則ち國、何の説あってか以て亂れんや。國の治まる所以を察するに、何ぞや。國君、唯だ能く國の義を壹同す、是を以て國治まるなり。國君なる者は、國の仁人なり。國君、政を國の百姓に發して、言いて曰く、「善と不善とを聞かば、必ず以て天子に告げよ。天子の是とする所は皆な之を是とし、天子の非とする所は皆な之を非とせよ。若の不善の言を去りて、天子の善言を學び、若の不善の行を去りて、天子の善行を學べ」と。則ち天下、何の説あってか以て亂れんや。天下の治まる所以を察するに、何ぞや。天子、唯だ能く天下の義を壹同す、是を以て天下、以て治まるなり。
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『墨子』尚賢上是の故に古者、聖王の政を為すや言いて曰く、「義ならざれば富まさず、義ならざれば貴くせず、義ならざれば親しまず、義ならざれば近づけず」と。是を以て國の富貴の人、之を聞きて、皆な退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は富貴なり。今、上、義を舉ぐるに貧賤を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。親しき者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は親なり。今、上、義を舉ぐるに親疎を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。近き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は近なり。今、上、義を舉ぐるに近を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我れ逺きを以て恃む無しと為す。今、上、義を舉ぐるに逺きを辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺鄙郊外の臣、門庭の庶子、國中の衆、四鄙の氓人に逮び至るまで、之を聞きて皆な競いて義を為す。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。
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『墨子』法儀子墨子曰く、天下の事を從むる者は、以て法儀無かる可からず。法儀無くして其の事能く成る者は、有ること無し。士の將相為る者に至ると雖も皆な法有り、百工の事を從むる者に至ると雖も亦た皆な法有り。百工は方を為すに矩を以てし、圜を為すに規を以てし、直きは繩を以てし、正しきは懸を以てす。巧工も不巧工も無く、皆な此の四者を以て法と為す。巧なる者は能く之に中り、不巧なる者は中つる能わずと雖も、放依して以て事を從めば、猶お已に逾えたり。故に百工の事を從むるや、皆な法度有り。今、大なる者は天下を治め、其の次は大國を治むるに、而も法度無し。此れ百工の辯なるに若かざるなり。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。