墨子 / 兼愛下
昔者晉文公好苴服。當文公之時,晉國之士大布之衣,䍧羊之裘,練帛之冠,蒯苴之屨,入見文公,出以踐之朝。故苴服為其難為也,然後為而文公説之,未踰於世而民可移也,即求以鄉其上也。
新字:昔者晉文公好苴服。当文公之時,晉国之士大布之衣,䍧羊之裘,練帛之冠,蒯苴之屨,入見文公,出以践之朝。故苴服為其難為也,然後為而文公説之,未踰於世而民可移也,即求以鄉其上也。
書き下し
昔者、晉の文公は苴服を好む。文公の時に當たりて、晉國の士は大布の衣、䍧羊の裘、練帛の冠、蒯苴の屨にて、入りては文公に見え、出でては以て之を朝に踐む。故に苴服は其の為し難きを為すなり。然る後に為して文公、之を説ぶ。世を踰えずして民、移す可きなり。即ち以て其の上に鄉かんことを求むればなり。
現代語訳
むかし晋の文公は粗末な衣を好んだ。文公の時代には、晋の国の士は粗い布の衣を着、羊の皮衣をまとい、練り絹の冠をかぶり、草を編んだ履をはいて、内には文公にまみえ、外には朝廷に立った。だから粗末な衣を着るのは実行が難しいことである。それでも実行され、文公はそれを喜んだ。一世代も経たずに民は変わった。上に向かおうとしたからである。
解説
三つのうち最も穏やかな例です。粗末な衣を着ることは、細腰のために飢えることや火に飛び込むことに比べれば軽い。それでも「難しいこと」に数えられているのは、周囲と違う格好をすることの社会的な難しさを見ているからでしょう。三例を軽重の順ではなく並列に置くことで、上の好みは内容を問わず伝わる、ということが示されています。
この章句が説くこと
上の好み模倣服装伝播実例
関連する章句
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『墨子』兼愛中昔者、晉の文公は士の惡衣を好む。故に文公の臣は皆な䍧羊の裘、帯ぶるに褊韋を以てし、練帛の冠にて、入りては以て君に見え、出でては以て朝に踐む。其の故は何ぞや。君、之を説ぶ、故に臣、之を為すなり。昔者、楚の靈王は士の細腰を好む。故に靈王の臣は皆な一飯を以て節と為し、肱に據りて然る後に興ち、牆を扶けて然る後に起つ。期年に比びて、朝に黧黑の危有り。是れ其の故は何ぞや。君、之を説ぶ、故に臣、之を能くするなり。昔、越王句踐は士の勇を好む。其の臣を教馴して之を和合し、舟を焚き火を失いて、其の士を試みて曰く、「越國の寳は盡く此に在り」と。越王、親ら自ら其の士を鼔して之を進ましむ。其の士、鼓の音を聞き、破碎して行を亂し、火を蹈みて死する者、左右に百人有餘。越王、金を擊ちて之を退かしむ。
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『墨子』兼愛下意うに以て難くして為す可からずと為すか。嘗て此より難くして而も為す可き者有り。昔、荆の靈王は小腰を好む。靈王の身に當たりて、荆國の士は飯、一を踰えず、握り據りて而る後に興ち、垣を扶けて而る後に行く。故に食を約するは其の難き者を為すなり。然る後に為して靈王、之を説ぶ。世を踰えずして民、移す可きなり。即ち以て其の上に鄉かんことを求むればなり。
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『墨子』兼愛下是の故に食を約し、舟を焚き、苴服するは、此れ天下の至って為し難きなり。然る後に為して上、之を説ぶ。世を踰えずして民、移す可きなり。何の故ぞや。即ち以て其の上に鄉かんことを求むればなり。今、夫の兼ねて相い利するが若きは、此れ其の利有りて且つ為し易きこと、勝げて計う可からざるなり。我れ以為えらく、則ち上、之を説ぶ者有ること無きのみ。茍くも上、之を説ぶ者有りて、之を勸むるに賞譽を以てし、之を威すに刑罰を以てせば、我れ以為えらく、人の兼ねて相い愛し、交ごも相い利するに就くに於けるや、之を譬うるに猶お火の上に就き、水の下に就くがごとく、天下に防ぎ止む可からざるなり。
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『墨子』兼愛中是の故に子墨子言いて曰く、乃ち夫の食を少なくし、衣を惡しくし、身を殺して名を為すが若きは、此れ天下の百姓の皆な難しとする所なり。若し茍くも君、之を説べば、則ち衆、能く之を為す。况んや兼ねて相い愛し、交ごも相い利するは、此と異なれり。夫れ人を愛する者は、人も亦た從いて之を愛す。人を利する者は、人も亦た從いて之を利す。人を惡む者は、人も亦た從いて之を惡む。人を害する者は、人も亦た從いて之を害す。此れ何の難きことか之れ有らんや。特に上、以て政を為さずして、士、以て行を為さざる故なり。
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『墨子』兼愛下昔者、越王句踐は勇を好む。其の士臣を教うること三年、其の知を以て未だ以て之を知るに足らずと為すなり。舟を焚き火を失し、鼔して之を進ましむ。其の士、前列に偃し、水火に伏して死する者、勝げて數う可からざるなり。此の時に當たりて、鼔せずして退かしむるも、越國の士は顫うと謂う可し。故に身を焚くは其の為し難きを為すなり。然る後に為して越王、之を説ぶ。世を踰えずして民、移す可きなり。即ち以て其の上に鄉かんことを求むればなり。
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『墨子』公孟公孟子、章甫を戴き、儒服を搢して、以て子墨子に見えて曰く、「君子は服して然る後に行うか。其れ行いて然る後に服するか」と。子墨子曰く、「行いは服に在らず」と。公孟子曰く、「何を以て其の然るを知るや」と。子墨子曰く、「昔者、齊の桓公は髙冠博帶、金劒木盾にして、以て其の國を治むるに、其の國治まる。昔者、晉の文公は大布の衣、䍧羊の裘、韋以て劒を帶びて、以て其の國を治むるに、其の國治まる。昔者、楚の荘王は鮮冠組纓、絳衣博袍にして、以て其の國を治むるに、其の國治まる。昔者、越王句踐は髪を剪り身に文して、以て其の國を治むるに、其の國治まる。此の四君は、其の服同じからざるも、其の行いは猶お一なり。翟、是を以て行いの服に在らざるを知るなり」と。公孟子曰く、「善し。吾れ之を聞きて曰く『善を宿する者は不祥なり』と。請う、章甫を舍易し、復た夫子に見えて可ならんか」と。子墨子曰く、「請う、因りて以て相い見えん。若し必ず将に章甫を舍易して、而る後に相い見えんとせば、然らば則ち行いは果たして服に在るなり」と。