墨子 / 天志上
曰:且夫義者,政也。無從下之政上,必從上之政下。是故庶人竭力從事,未得恣已而為政,有士政之;士竭力從事,未得恣已而為政,有將軍大夫政之;將軍大夫竭力從事,未得恣已而為政,有三公諸侯政之;三公諸侯竭力聴治,未得恣已而為政,有天子政之;天子未得恣已而為政,有天政之。天子為政於三公、諸侯、士、庶人,天下之士君子固明知天之為政於天子,天下百姓未得之明知也。故昔三代聖王禹湯文武,欲以天之為政於天子明説天下之百姓,故莫不犓牛羊,豢犬彘,潔盛酒醴,以祭祀上帝鬼神,而求祈福於天。我未嘗聞天下之所求祈福於天子者也,我所以知天之為政於天子者也。
新字:曰:且夫義者,政也。無従下之政上,必従上之政下。是故庶人竭力従事,未得恣已而為政,有士政之;士竭力従事,未得恣已而為政,有将軍大夫政之;将軍大夫竭力従事,未得恣已而為政,有三公諸侯政之;三公諸侯竭力聴治,未得恣已而為政,有天子政之;天子未得恣已而為政,有天政之。天子為政於三公、諸侯、士、庶人,天下之士君子固明知天之為政於天子,天下百姓未得之明知也。故昔三代聖王禹湯文武,欲以天之為政於天子明説天下之百姓,故莫不犓牛羊,豢犬彘,潔盛酒醴,以祭祀上帝鬼神,而求祈福於天。我未嘗聞天下之所求祈福於天子者也,我所以知天之為政於天子者也。
書き下し
曰く、且つ夫れ義なる者は、政なり。下より上を政むるに從うこと無く、必ず上より下を政むるに從う。是の故に庶人は力を竭くして事に從い、未だ己を恣にして政を為すを得ず、士の之を政むる有り。士は力を竭くして事に從い、未だ己を恣にして政を為すを得ず、將軍大夫の之を政むる有り。將軍大夫は力を竭くして事に從い、未だ己を恣にして政を為すを得ず、三公諸侯の之を政むる有り。三公諸侯は力を竭くして聴治し、未だ己を恣にして政を為すを得ず、天子の之を政むる有り。天子は未だ己を恣にして政を為すを得ず、天の之を政むる有り。天子、政を三公・諸侯・士・庶人に為す。天下の士君子は固より天の政を天子に為すを明らかに知るも、天下の百姓は未だ之を明らかに知るを得ざるなり。故に昔、三代の聖王、禹湯文武、天の政を天子に為すを以て天下の百姓に明説せんと欲す。故に牛羊を犓い、犬彘を豢い、酒醴を潔盛して、以て上帝鬼神を祭祀し、而して福を天に求め祈らざる莫し。我れ未だ嘗て天下の福を天子に求め祈る所の者を聞かざるなり。我れ天の政を天子に為すを知る所以の者なり。
現代語訳
そもそも義とは、正すことである。下から上を正すことはなく、必ず上から下を正す。だから庶人は力を尽くして仕事に当たり、勝手に判断することはできず、士がそれを正す。士は力を尽くして仕事に当たり、勝手に判断することはできず、将軍や大夫がそれを正す。将軍や大夫は力を尽くして仕事に当たり、勝手に判断することはできず、三公や諸侯がそれを正す。三公や諸侯は力を尽くして政務を聞き、勝手に判断することはできず、天子がそれを正す。天子も勝手に判断することはできず、天がそれを正す。天子は三公・諸侯・士・庶人を正す。天下の士君子は、天が天子を正すことをはっきり知っているが、天下の民はまだそれをはっきり知らない。だからむかし三代の聖王、禹・湯・文王・武王は、天が天子を正すことを天下の民にはっきり説こうとした。だから牛羊を飼い犬豚を養い、酒と供物を清らかに整えて上帝と鬼神を祭り、天に福を祈らない者はなかった。私は、天下が天子に福を祈るという話を聞いたことがない。これが、天が天子を正すと私が判断する理由である。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』尚同中夫れ既に天子に尚同するも、未だ天に尚同せざる者は、則ち天菑、將に猶お未だ止まざらんとするなり。故に若し天、寒熱を降すこと節ならず、霜雪雨露、時ならず、五榖熟せず六畜遂げず、疾菑戾疫、飄風苦雨、荐臻して至る者は、此れ天の罰を降すなり。將に以て下人の天に尚同せざるを罰せんとするなり。
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『墨子』尚同上天下の百姓、皆な天に上同するも、一にして天に上同せざれば、則ち菑、猶お未だ去らざるなり。今、若し天、飄風苦雨、湊湊として至る者は、此れ天の百姓の天に上同せざるを罰する所以の者なり。
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論語・陽貨篇子曰く、「予言うこと無からんと欲す。」子貢曰く、「子如し言わずんば、則ち小子何をか述べん。」子曰く、「天何をか言うや。四時行われ、百物生ず。天何をか言うや。」
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言志四録・南洲手抄生物は皆死を畏る。人は其れ霊なり、当に死を畏るるの中より死を畏れざるの理を揀び出すべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の権は天に在り、当に之を順受すべし。我れの生るるや自然にして生る、生るる時未だ嘗て喜ぶことを知らず。則ち我の死するや応に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を死す、一に天に聴さんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殻は則ち天を蔵むるの室なり。精気の物と為るや、天此の室に寓す。遊魂の変を為すや、天此の室を離る。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而して吾が性の性たる所以は、恒に死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ昼夜は一理なり、幽明は一理なり。始めを原ねて終りに反らば、死生の理を知る、何ぞ其の易簡にして明白なるや。吾人は当に此の理を以て自省すべし。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。
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『墨子』天志上然らば則ち禹湯文武の其の賞を得たるは何を以てなるや。子墨子言いて曰く、其の事、上は天を尊び、中は鬼神に事え、下は人を愛す。故に天意に曰く、「此れ之れ我が愛する所、兼ねて之を愛し、我が利する所、兼ねて之を利す。人を愛する者、此れ博しと為し、人を利する者、此れ厚しと為す」と。故に貴きこと天子と為し、富は天下を有ち、萬世の子孫に業せしむ。傳えて其の善を稱し、方く天下に施し、今に至るまで之を稱し、之を聖王と謂う。然らば則ち桀紂幽厲の其の罰を得たるは何を以てなるや。子墨子言いて曰く、其の事、上は天を詬り、中は鬼を誣い、下は人を賤しむ。故に天意に曰く、「此れ之れ我が愛する所、别ちて之を惡み、我が利する所、交ごも之を賊う。人を惡む者、此れ之を博しと為し、人を賊う者、此れ之を厚しと為す」と。故に其の夀を終うるを得ず、其の世を殁えず、今に至るまで之を毁り、之を暴王と謂う。