墨子 / 尚同上
天下之百姓皆上同於天一而不上同於天,則菑猶未去也。今若天飄風苦雨,湊湊而至者,此天之所以罰百姓之不上同於天者也。
書き下し
天下の百姓、皆な天に上同するも、一にして天に上同せざれば、則ち菑、猶お未だ去らざるなり。今、若し天、飄風苦雨、湊湊として至る者は、此れ天の百姓の天に上同せざるを罰する所以の者なり。
現代語訳
天下の民がみな天に揃えているようでいて、実は天に揃えていなければ、災いはまだ去らない。いま天がつむじ風や長雨を次々に降らせるのは、天が民の、天に揃っていないことを罰しているのである。
解説
尚同の階層は天子で終わりません。天子のさらに上に天があります。この一段があることで、尚同篇は「最上位の人間に無条件で従え」という主張から離れます。天子といえども天という基準に照らされる。前の法儀篇で「広くて私が無く、施して恩に着せず、長く続いて衰えない」と定義された、あの天です。組織の最上位もまた、外部の基準に対して説明責任を負うという構図です。
この章句が説くこと
天最上位説明責任基準上限
関連する章句
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。
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『墨子』天志中子墨子言いて曰く、「今、天下の君子の仁義を為さんと欲する者は、則ち義の從りて出づる所を察せざる可からず。既に義の從りて出づる所を察せざる可からずと曰わば、然らば則ち義は何從りか出づるや」と。子墨子曰く、「義は愚にして且つ賤しき者從り出でず、必ず貴くして且つ知なる者自り出づ。何を以て義の愚にして且つ賤しき者從り出でずして、必ず貴くして且つ知なる者自り出づるを知るや。曰く、義なる者は、善政なり。何を以て義の善政なるを知るや。曰く、天下に義有れば則ち治まり、義無ければ則ち亂る。是を以て義の善政なるを知るなり。夫れ愚にして且つ賤しき者は、貴くして且つ知なる者に政を為すを得ず、然る後に愚にして且つ賤しき者に政を為すを得。此れ吾が義の愚にして且つ賤しき者從り出でずして、必ず貴くして且つ知なる者自り出づるを知る所以なり。然らば則ち孰れをか貴しと為し、孰れをか知と為す。曰く、天を貴しと為し、天を知と為すのみ。然らば則ち義は果たして天自り出づ」と。
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『弁名』中庸和衷降すとは、礼運の「祖廟に降す、山川に降す、五祀に降す」、内則の「后、徳を衆兆民に降す」の降の如し。君師の其の民を表正するを称して之を天に帰する者は、天叙・天秩の天の如し。天道を奉じて以て之を行ふ。古の道、爾りと為す。它の「天、其の衷を誘く」の如きは、「天、之が魄を奪ふ」と相反す。其の人忽ち悟りて善を為し、驚きて以て殆ど天意かと為す。故に天、之を正に引くと言ふなり。「孔子に折衷す」も、亦た正を孔子に取るなり。孔子の言を以て正と為すを謂ふなり。
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『呻吟語』外篇・天地・天を以て自ら處る吾人は渾て是れ一天なり。故に日用起居食は總て念念時時事事便ち當に天を以て自ら處るべし。
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『慎思録』巻之四天は地を統ぶ。地の内外も亦た是れ天気の貫通流行する所なり。故に偏へに天を言へば、則ち地其の中に在り。天地の道を謂ひて、之を天道に統ぶ。之を称して天道と為すは、猶ほ聖人の道、君子の道と言ふがごとし。其の在る所を以て之に名づくるのみ。其の実は天も亦た道中の一物のみ。道は天に在りて主宰と為る。故に曰く、天は即ち理なり、と。天地生じて、而る後に道天地に在り。故に天地は道の形体なり。陰陽は道の動静なり。道は形体に非ざれば、則ち寓する所無し。動静に非ざれば、則ち変化を致し、四時を行ひ、万物を生ずること能はず。陰陽の変化を致して、四時行はれ百物生ずる所以の者は、道を以て之が主と為すなり。故に道の外に陰陽有るに非ざるなり。
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『弁名』天命帝鬼神天は解を待たず。人の皆知る所なり。之を望めば蒼蒼然として、冥冥乎として得て測るべからず。日月星辰焉に繋り、風雨寒暑焉に行はる。万物の命を受くる所にして、百神の宗なる者なり。至尊にして比無く、能く踰えて之に上る者莫し。故に古より聖帝明王、皆天に法りて天下を治め、天道を奉じて以て其の政教を行ふ。是を以て聖人の道、六経の載する所、皆敬天に帰せざる者莫し。是れ聖門の第一義なり。学者先づ斯の義を識りて、而る後に聖人の道得て言ふべきのみ。

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