墨子 / 兼愛下
然而天下之士非兼者之言猶未止也,曰:「意可以擇士,而不可以擇君子姑嘗兩而進之,誰以為二君,使其一君者執兼,使其一君者執别。是故别君之言曰:「吾惡能為吾萬民之身若為吾身,此泰非天下之情也。人之生乎地上之無㡬何也,譬之猶馳駟而過隙也。」是故退睹其萬民,饑即不食,寒即不衣,疾病不侍養,死喪不葬埋。别君之言若此,行若此。
新字:然而天下之士非兼者之言猶未止也,曰:「意可以択士,而不可以択君子姑嘗両而進之,誰以為二君,使其一君者執兼,使其一君者執別。是故別君之言曰:「吾悪能為吾万民之身若為吾身,此泰非天下之情也。人之生乎地上之無㡬何也,譬之猶馳駟而過隙也。」是故退睹其万民,饑即不食,寒即不衣,疾病不侍養,死喪不葬埋。別君之言若此,行若此。
書き下し
然り而して天下の士の兼を非とする者の言、猶お未だ止まざるなり。曰く、「意うに以て士を擇ぶ可くして、以て君子を擇ぶ可からず」と。姑く嘗みに兩つながら之を進めん。誰か以て二君と為し、其の一君をして兼を執らしめ、其の一君をして别を執らしめん。是の故に别君の言に曰く、「吾れ惡くんぞ能く吾が萬民の身を為むること吾が身を為むるが若くせんや。此れ泰だ天下の情に非ざるなり。人の地上に生くるや㡬何も無きなり。之を譬うるに猶お駟を馳せて隙を過ぐるがごときなり」と。是の故に退きて其の萬民を睹るに、饑うるも即ち食わしめず、寒きも即ち衣せしめず、疾病あるも侍養せず、死喪あるも葬埋せず。别君の言は此くの若く、行いも此くの若し。
現代語訳
ところが天下の士で兼を否定する者の言葉はまだやまない。「思うに、士を選ぶ基準にはなっても、君主を選ぶ基準にはならないのではないか」。ではひとつ、両方を並べて進めてみよう。二人の君を仮に立て、一方には兼を執らせ、もう一方には別を執らせる。別を執る君はこう言う。「どうして万民の身を自分の身のように扱えようか。それはあまりに天下の実情に合わない。人が地上に生きる時間などいくらもない。たとえば四頭立ての馬車が戸の隙間を走り過ぎるようなものだ」。だから退いて万民を見ても、飢えていても食べさせず、寒くても着せず、病んでも世話をせず、死んでも葬らない。別を執る君の言葉はこうであり、行いもこうである。
解説
この章句が説くこと
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