墨子 / 天志上
然則天亦何欲何惡?天欲義而惡不義。然則率天下之百姓以從事於義,則我乃為天之所欲也。我為天之所欲,天亦為我所欲。然則我何欲何惡?我欲福祿而惡禍祟。然則我率天下之百姓以從事於禍祟中也。
新字:然則天亦何欲何悪?天欲義而悪不義。然則率天下之百姓以従事於義,則我乃為天之所欲也。我為天之所欲,天亦為我所欲。然則我何欲何悪?我欲福禄而悪禍祟。然則我率天下之百姓以従事於禍祟中也。
書き下し
然らば則ち天は亦た何を欲し何を惡むや。天は義を欲して不義を惡む。然らば則ち天下の百姓を率いて以て義に從事すれば、則ち我れ乃ち天の欲する所を為すなり。我れ天の欲する所を為さば、天も亦た我が欲する所を為さん。然らば則ち我れ何を欲し何を惡むや。我れは福祿を欲して禍祟を惡む。然らば則ち我れ天下の百姓を率いて以て禍祟の中に從事するなり。
現代語訳
では天は何を望み何を憎むのか。天は義を望み、不義を憎む。だから天下の民を率いて義に従事すれば、それは天の望むことを行うことになる。私が天の望むことを行えば、天もまた私の望むことを行ってくれる。では私は何を望み何を憎むのか。私は福と禄を望み、禍と祟りを憎む。ところが今は、天下の民を率いて禍と祟りのただ中で仕事をしているのだ。
解説
天との関係を、交換として書きます。「我為天之所欲、天亦為我所欲」——こちらが相手の望みを行えば、相手もこちらの望みを行う。兼愛篇の「愛人者、人必從而愛之」とまったく同じ形です。神との関係すら返報の構造で捉えるのが墨子で、祈願ではなく取引に近い。ただし取引の条件が「義」であるところに、この思想の性格が出ています。
この章句が説くこと
交換返報義天条件
関連する章句
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『墨子』魯問子墨子、公尚過を越に游ばしむ。公尚過、越王に説く。越王、大いに説び、公尚過に謂いて曰く、「先生、茍くも能く子墨子をして越に於いて寡人を教えしめば、請う、故吳の地、方五百里を裂きて以て子墨子に封ぜん」と。公尚過、許諾す。遂に公尚過の為に車五十乗を束ね、以て子墨子を魯に迎えて曰く、「吾れ夫子の道を以て越王に説く。越王、大いに悦びて過に謂いて曰く、『茍くも能く子墨子をして越に至りて寡人を教えしめば、請う、故吳の地、方五百里を裂きて以て子を封ぜん』と」。子墨子、公尚過に謂いて曰く、「子、越王の志を觀るに何若。意うに越王、将に吾が言を聴き、吾が道を用いんとせば、則ち翟、将に往かんとす。腹を量りて食い、身を度りて衣し、自ら羣臣に比せん。奚んぞ能く封を以て為さんや。抑そも越、吾が言を聴かず、吾が道を用いずして、我れ往かば、則ち是れ我れ義を以て糶るなり。之を糶るに鈞しくんば、亦た中國に於いてするのみ。何ぞ必ずしも越に於いてせんや」と。
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司馬法・仁本義を争いて利を争わず、是を以てその義を明らかにするなり。
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論語・陽貨篇子曰く、唯だ上知と下愚とは移らざるなり。
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呂氏春秋・論威①義なる者は、萬事の紀なり。君臣上下親疏の由りて起こる所なり。治亂安危過勝の在る所なり。過勝の道は、他に求むること勿し、必ず己に反る。
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呂氏春秋・別類④義は小しく之を為せば、則ち小しく福有り、大いに之を為せば、則ち大いに福有り。禍に於いては則ち然らず。小しく之れ有るは、其の亡きに若かざるなり。招を射る者は其の小に中つるを欲するなり。獸を射る者は其の大に中つるを欲するなり。物は固より必ならず。安んぞ推す可けんや。
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呂氏春秋・髙義①君子の自ら行うや、動けば必ず義に縁る。行うこと必ず義に誠なれば、俗、之を窮せりと謂うと雖も、通ずるなり。行うこと義に誠ならず、動くこと義に縁らざれば、俗、之を通ぜりと謂うと雖も、窮せるなり。然らば則ち君子の窮通は、俗に異なる者有るなり。故に功に當りて以て賞を受け、罪に當りて以て罰を受く。賞當たらざれば、之に與うと雖も必ず辭す。罰誠に當たれば、之を赦すと雖も外けず。之を國に度れば、必ず利長久ならん。長久の主に於ける、必ず宜しく內は心に反して慚ぢずして然る後動くべし。