墨子 / 兼愛下
且不惟泰誓》為然,雖《禹誓》即亦猶是也。禹曰:「濟濟有衆,咸聴朕言,非惟小子敢行稱亂,蠢兹有苗,用天之罰,若予既率爾羣對諸羣以征有苗。」禹之征有苗也,非以求重富貴、干福禄、樂耳目也,以求興天下之利,除天下之害,即此禹兼也。雖子墨子之所謂兼者,於禹求焉。
新字:且不惟泰誓》為然,雖《禹誓》即亦猶是也。禹曰:「済済有衆,咸聴朕言,非惟小子敢行称乱,蠢茲有苗,用天之罰,若予既率爾羣対諸羣以征有苗。」禹之征有苗也,非以求重富貴、干福禄、楽耳目也,以求興天下之利,除天下之害,即此禹兼也。雖子墨子之所謂兼者,於禹求焉。
書き下し
且つ惟だ泰誓のみ然りと為すにあらず、禹誓と雖も即ち亦た猶お是のごときなり。禹曰く、「濟濟たる有衆、咸な朕が言を聴け。惟だ小子のみ敢えて亂を稱するを行うに非ず。蠢たる茲の有苗、天の罰を用う。若し予れ既に爾の羣を率い、羣諸に對して以て有苗を征せん」と。禹の有苗を征するや、富貴を重ね、福禄を干め、耳目を樂しましむるを求むるに非ざるなり。以て天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むるなり。即ち此れ禹の兼なり。子墨子の謂う所の兼なる者と雖も、禹に於て求めたり。
現代語訳
『泰誓』だけがそうなのではない。『禹誓』もまた同じである。禹が言った。「集まった人々よ、みな私の言葉を聞け。この小さき者がむやみに乱を起こそうというのではない。蠢く有苗に対し、天の罰を用いるのだ。私はお前たちの群を率い、諸々の群に向き合って有苗を征する」。禹が有苗を征したのは、富貴を重ね、福禄を求め、耳目を楽しませるためではない。天下の利を起こし天下の害を除こうとしたからである。これが禹の兼である。墨子のいう兼というものも、禹に求めたものである。
解説
非攻を説く墨子が、なぜ禹の征伐を肯定するのか——この問いへの答えがここにあります。判定は動機で行われます。富貴を重ねるためか、天下の害を除くためか。次の非攻篇でも、聖王の征伐は「攻」ではなく「誅」だとして区別されます。同じ行為でも目的で名前が変わる、という墨子の判定法です。実務でも、同じ施策が誰の利になるかで評価が反転することがあります。
この章句が説くこと
動機征伐区別非攻目的
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