墨子 / 尚同下
何以知其然也?於先王之書也大誓之言然,曰:「小人見姦巧乃聞,不言也,發罪鈞。」此言見淫僻不以告者,其罪亦猶淫僻者也。
新字:何以知其然也?於先王之書也大誓之言然,曰:「小人見姦巧乃聞,不言也,発罪鈞。」此言見淫僻不以告者,其罪亦猶淫僻者也。
書き下し
何を以て其の然るを知るや。先王の書に於けるや、大誓の言、然り。曰く、「小人、姦巧を見て乃ち聞くも、言わざれば、發せらるる罪は鈞し」と。此れ淫僻を見て以て告げざる者は、其の罪も亦た猶お淫僻なる者のごときを言うなり。
現代語訳
なぜそう分かるのか。先王の書のうち『大誓』の言葉がそうである。「小人がよこしまな企みを見て聞き知りながら言わなければ、問われる罪は同じである」。これは、みだらで邪なことを見ながら告げない者の罪もまた、みだらで邪なことをした者と同じだ、ということを言っている。
解説
沈黙を加担とみなす規定に、古い書からの根拠を与えます。「發罪鈞」——問われる罪は等しい。見て言わなかった者と、した者を同じ罪に置く。厳しい規定ですが、尚同篇の全体がこれを支えとしています。情報が上に届かなければ賞罰は機能しない、という前提から論理的に導かれる帰結です。内部通報を制度としてどう位置づけるかという議論の、最も古い形の一つです。
この章句が説くこと
沈黙告発同罪報告制度
関連する章句
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『墨子』非儒下又た曰く、「吾子は鐘の若し。之を擊てば則ち鳴り、擊たざれば鳴らず」と。之に應じて曰く、夫れ仁人は上に事うるに忠を竭くし、親に事うるに孝を得、善を務むれば則ち美とし、過ち有れば則ち諫む。此れ人臣の道たり。今、之を擊てば則ち鳴り、擊たざれば鳴らずとは、知を隠し力を豫し、恬漠として問を待ちて後に對うるなり。君親の大利有りと雖も、問わざれば言わず。若し将に大寇亂有り、盜賊、将に作らんとし、機辟の将に發せんとするがごとくにして、他人は知らず、己れ獨り之を知るも、其の君親、皆な在りと雖も、問わざれば言わず。是れ夫れ大亂の賊なり。是を以て人臣と為れば不忠、子と為れば不孝、兄に事うれば不弟、人に交遇すれば不貞良なり。夫れ後れて言わざるの朝を執り、物、利を見て使わるるも、已に後れて言わんことを恐ると雖も、君、若し言いて未だ利有らざれば、則ち髙く拱きて下を視、噎を㑹して深しと為し、曰く、「惟だ其れ未だ之を學ばざるなり」と。誰か急を用いんに、行を遺すこと逺し。
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『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「君子は己を共しくして待ち、問わるれば則ち言い、問われざれば則ち止む。譬えば鍾の然るが若し。扣てば則ち鳴り、扣たざれば則ち鳴らず」と。子墨子曰く、「是の言に三物有り。子は乃ち今、其の一身を知るのみ。又た未だ其の謂う所を知らざるなり。若し大人、淫暴を國家に行わば、進みて諫むれば、則ち之を不遜と謂い、左右に因りて諌を獻ずれば、則ち之を言議と謂う。此れ君子の疑惑する所なり。若し大人、政を為すに、将に國家の難に因らんとし、譬えば機の将に發せんとするが若く然らば、君子の必ず以て諌むるは、然れども大人の利なり。此くの若き者は、扣たざると雖も必ず鳴る者なり。
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論語・季氏篇孔子曰く、禄の公室を去ること、五世なり。政の大夫に逮ぶこと、四世なり。故に夫の三桓の子孫、微なり。
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