墨子 / 尚賢下
是故古之聖王之治天下也,其所富,其所貴,未必王公大人骨肉之親、無故富貴、面目美好者也。是故昔者舜耕於歴山,陶於河瀕,漁於雷澤,灰於常陽堯得之服澤之陽,立為天子,使接天下之政,而治天下之民。昔伊尹為莘氏女師僕,使為庖人,湯得而舉之,立為三公,使接天下之政,治天下之民。昔者傅説居北海之洲,圜土之上,衣褐帯索,庸築于傅巖之城,武丁得而舉之,立為三公,使之接天下之政,而治天下之民。是故昔者堯之舉舜也,湯之舉伊尹也,武丁之舉傅説也,豈以為骨肉之親、無故富貴、面目美好者哉?唯法其言,用其謀,行其道,上可以利天,中可以利鬼,下可以利人,是故推而上之。
新字:是故古之聖王之治天下也,其所富,其所貴,未必王公大人骨肉之親、無故富貴、面目美好者也。是故昔者舜耕於歴山,陶於河瀕,漁於雷沢,灰於常陽堯得之服沢之陽,立為天子,使接天下之政,而治天下之民。昔伊尹為莘氏女師僕,使為庖人,湯得而舉之,立為三公,使接天下之政,治天下之民。昔者傅説居北海之洲,圜土之上,衣褐帯索,庸築于傅巖之城,武丁得而舉之,立為三公,使之接天下之政,而治天下之民。是故昔者堯之舉舜也,湯之舉伊尹也,武丁之舉傅説也,豈以為骨肉之親、無故富貴、面目美好者哉?唯法其言,用其謀,行其道,上可以利天,中可以利鬼,下可以利人,是故推而上之。
書き下し
是の故に古の聖王の天下を治むるや、其の富ます所、其の貴くする所は、未だ必ずしも王公大人の骨肉の親、故無くして富貴なる、面目美好なる者ならざるなり。是の故に昔者、舜は歴山に耕し、河瀕に陶し、雷澤に漁し、常陽に灰す。堯、之を服澤の陽に得て、立てて天子と為し、天下の政に接して天下の民を治めしむ。昔、伊尹は莘氏の女の師僕と為り、庖人と為らしめらる。湯、得て之を舉げ、立てて三公と為し、天下の政に接して天下の民を治めしむ。昔者、傅説は北海の洲、圜土の上に居り、褐を衣、索を帯び、傅巖の城に庸築す。武丁、得て之を舉げ、立てて三公と為し、之をして天下の政に接して天下の民を治めしむ。是の故に昔者、堯の舜を舉ぐるや、湯の伊尹を舉ぐるや、武丁の傅説を舉ぐるや、豈に骨肉の親、故無くして富貴なる、面目美好なる者を以て為さんや。唯だ其の言に法り、其の謀を用い、其の道を行い、上は以て天を利す可く、中は以て鬼を利す可く、下は以て人を利す可し。是の故に推して之を上せるなり。
現代語訳
だから昔の聖王が天下を治めたとき、富ませ貴くした相手は、必ずしも王公大人の身内でも、理由の無い富貴の者でも、顔かたちの良い者でもなかった。だから昔、舜は歴山で耕し、黄河のほとりで陶器を作り、雷沢で漁をし、常陽で灰を焼いていた。堯は舜を服沢のほとりで見つけ、立てて天子とし、天下の政治にあたって天下の民を治めさせた。昔、伊尹は有莘氏の娘の付き人となり、料理人をさせられていた。湯は伊尹を得て登用し、立てて三公とし、天下の政治にあたって天下の民を治めさせた。昔、傅説は北海の中州、囚人の使われる場所にいて、粗末な衣を着て縄の帯を締め、傅巖の城壁の工事で働いていた。武丁は傅説を得て登用し、立てて三公とし、天下の政治にあたって天下の民を治めさせた。だから堯が舜を、湯が伊尹を、武丁が傅説を登用したのは、身内だからでも理由の無い富貴のためでも顔かたちのためでもない。ただ、その言葉に従い、その謀を用い、その道を行えば、上は天を利し、中は鬼神を利し、下は人を利することができたからだ。だから推し上げたのである。
解説
この章句が説くこと
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