墨子 / 兼愛中
昔者晉文公好士之惡衣,故文公之臣皆䍧羊之裘,帯以褊韋練帛之冠,入以見於君,出以踐於朝。其故何也?君説之,故臣為之也。昔者楚靈王好士細腰故靈王之臣皆以一飯為節,據肱然後興扶牆然後起。比期年,朝有黧黑之危是其故何也?君説之,故臣能之也。昔越王句踐好士之勇,教馴其臣,和合之,焚舟失火,試其士曰:「越國之寳盡在此!」越王親自鼔其士而進之,其士聞鼓音,破碎亂行、蹈火而死者,左右百人有餘,越王擊金而退之。
新字:昔者晉文公好士之悪衣,故文公之臣皆䍧羊之裘,帯以褊韋練帛之冠,入以見於君,出以践於朝。其故何也?君説之,故臣為之也。昔者楚霊王好士細腰故霊王之臣皆以一飯為節,拠肱然後興扶牆然後起。比期年,朝有黧黒之危是其故何也?君説之,故臣能之也。昔越王句践好士之勇,教馴其臣,和合之,焚舟失火,試其士曰:「越国之寳尽在此!」越王親自鼔其士而進之,其士聞鼓音,破砕乱行、蹈火而死者,左右百人有余,越王擊金而退之。
書き下し
昔者、晉の文公は士の惡衣を好む。故に文公の臣は皆な䍧羊の裘、帯ぶるに褊韋を以てし、練帛の冠にて、入りては以て君に見え、出でては以て朝に踐む。其の故は何ぞや。君、之を説ぶ、故に臣、之を為すなり。昔者、楚の靈王は士の細腰を好む。故に靈王の臣は皆な一飯を以て節と為し、肱に據りて然る後に興ち、牆を扶けて然る後に起つ。期年に比びて、朝に黧黑の危有り。是れ其の故は何ぞや。君、之を説ぶ、故に臣、之を能くするなり。昔、越王句踐は士の勇を好む。其の臣を教馴して之を和合し、舟を焚き火を失いて、其の士を試みて曰く、「越國の寳は盡く此に在り」と。越王、親ら自ら其の士を鼔して之を進ましむ。其の士、鼓の音を聞き、破碎して行を亂し、火を蹈みて死する者、左右に百人有餘。越王、金を擊ちて之を退かしむ。
現代語訳
むかし晋の文公は士が粗末な衣を着るのを好んだ。だから文公の臣はみな羊の皮衣を着、粗い革の帯を締め、練り絹の冠をかぶって、内には君にまみえ、外には朝廷に立った。それはなぜか。君が喜んだから、臣がそうしたのである。むかし楚の霊王は士の細い腰を好んだ。だから霊王の臣はみな一日一食を規準とし、腕を支えにしてやっと立ち上がり、塀に手をついてやっと起き上がった。一年たつと、朝廷には青黒い顔色の危うさがあった。それはなぜか。君が喜んだから、臣がそれをやってのけたのである。むかし越王句践は士の勇を好んだ。臣を訓練してまとめ、舟に火を放って燃えるなか、士を試してこう言った。「越国の宝はことごとくここにある」。越王は自ら太鼓を打って士を進ませた。士は太鼓の音を聞くと、隊列を崩して火の中に飛び込み、死んだ者は左右に百人あまり。越王は鉦を打って退かせた。
解説
この章句が説くこと
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「聖人は百世の師なり。伯夷・柳下惠是れなり。故に伯夷の風を聞く者は、頑夫も廉に、懦夫も志を立つる有り。柳下惠の風を聞く者は、薄夫も敦く、鄙夫も寬なり。百世の上に奮い、百世の下、聞く者興起せざるは莫きなり。聖人に非ずんば、能く是の若くならんや。而るを況んや之に親炙する者に於いてをや。」 <語釈> ○「頑夫・懦夫」、趙注:頑は、貪なり、懦は、弱なり。○「鄙夫」、趙注:鄙は、狭なり。度量の狭いこと。○「親炙」、親しくその人に接して感化を受けること。親炙に浴するなどと今でも使われるが、その出典がここである。
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論語・先進篇子曰く、「由の瑟、奚為れぞ丘の門に於いてせん。」門人子路を敬せず。子曰く、「由や堂に升れり、未だ室に入らざるなり。」
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孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「詩に曰く、『素餐せず。』君子の耕やさずして食らうは、何ぞや。」孟子曰く、「君子、是の國に居るや、其の君、之を用うれば、則ち安富尊榮に、其の子弟之に從えば、則ち孝弟忠信なり。素餐せざること、孰れか是れより大ならん。」
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