師導古典を学びたいすべての人に

墨子 / 辭過

凡周於天地之間,包於四海之内,天壤之情,隂陽之和,莫不有也,雖至聖不能更也。何以知其然?聖人有傳:天地也,則曰上下;四時也,則曰隂陽;人情也,則曰男女;禽獸也,則曰牝牡雄雌也。真天壤之情,雖有先王,不能更也。雖上世至聖,必蓄私不以傷行,故民無怨。宫無拘女,故天下無寡夫。内無拘女,外無寡夫,故天下之民衆。當今之君,其蓄私也,大國拘女累千,小國累百,是以天下之男多寡無妻,女多拘無夫。男子失時,故民少。君實欲民之衆而惡其寡,當蓄私不可不節。

新字:凡周於天地之間,包於四海之内,天壤之情,陰陽之和,莫不有也,雖至聖不能更也。何以知其然?聖人有伝:天地也,則曰上下;四時也,則曰陰陽;人情也,則曰男女;禽獣也,則曰牝牡雄雌也。真天壤之情,雖有先王,不能更也。雖上世至聖,必蓄私不以傷行,故民無怨。宫無拘女,故天下無寡夫。内無拘女,外無寡夫,故天下之民衆。当今之君,其蓄私也,大国拘女累千,小国累百,是以天下之男多寡無妻,女多拘無夫。男子失時,故民少。君実欲民之衆而悪其寡,当蓄私不可不節。

書き下し

凡そ天地の間に周く、四海の内に包まるる、天壤の情、隂陽の和は、有らざる莫し。至聖と雖も更むる能わざるなり。何を以て其の然るを知る。聖人に傳有り。天地なるは、則ち上下と曰う。四時なるは、則ち隂陽と曰う。人情なるは、則ち男女と曰う。禽獸なるは、則ち牝牡雄雌と曰うなり。真に天壤の情、先王有りと雖も、更むる能わざるなり。上世の至聖と雖も、必ず私を蓄うるも以て行を傷らず、故に民に怨み無し。宫に拘女無し、故に天下に寡夫無し。内に拘女無く、外に寡夫無し、故に天下の民衆し。今の君に當たりては、其の私を蓄うるや、大國は女を拘すること累千、小國は累百。是を以て天下の男は多く寡にして妻無く、女は多く拘われて夫無し。男子、時を失う、故に民少なし。君、實に民の衆きを欲して其の寡きを惡まば、當に私を蓄うるは節せざる可からず。

現代語訳

そもそも天地の間に行きわたり四海の内に包まれるもの、すなわち天地の実情も陰陽の調和も、無いところはない。最高の聖人といえども変えられない。なぜそう分かるのか。聖人に伝えがある。天地については上と下といい、四時については陰と陽といい、人情については男と女といい、鳥獣については牝と牡、雌と雄という。まことに天地の実情は、先王といえども変えられない。上古の最高の聖人であっても、側室を持つことはあったが行いを損なうまでには至らなかった。だから民に恨みが無かった。宮中に囲われた女がいなかったから、天下に妻を持てない男がいなかった。内に囲われた女がおらず外に独り身の男がいないから、天下の民は多かった。ところが今の君主が側室を囲うのは、大国では千人単位、小国でも百人単位である。だから天下の男の多くは独り身で妻が無く、女の多くは囲われて夫が無い。男女が時機を失う。だから民が少ない。君主が本当に民が多いことを望み少ないことを憎むなら、側室を持つのに節度が無くてはならない。

解説

辭過篇の五番目、後宮の話です。ここでも道徳ではなく人口という帰結から論じます。宮中に千人を囲えば、外に千人の妻を持てない男が生まれ、人口が減る。国力を人口で測る墨子にとって、これは経済問題です。人の欲そのものは天地の実情として認め、変えられないと明言したうえで、規模だけを問題にしている点が特徴的です。禁欲ではなく上限の設定を論じています。

この章句が説くこと

囲い込み人口節度資源配分上限

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる