墨子 / 兼愛下
故兼者,聖王之道也,王公大人之所以安也,萬民衣食之所以足也。故君子莫若審兼而務行之。為人君必惠,為人臣必忠,為人父必慈,為人子必孝,為人兄必友,為人弟必悌。故君子莫若欲為惠君、忠臣、慈父、孝子、友兄、悌弟,當若兼之不可不行也。此聖王之道而萬民之大利也。
新字:故兼者,聖王之道也,王公大人之所以安也,万民衣食之所以足也。故君子莫若審兼而務行之。為人君必恵,為人臣必忠,為人父必慈,為人子必孝,為人兄必友,為人弟必悌。故君子莫若欲為恵君、忠臣、慈父、孝子、友兄、悌弟,当若兼之不可不行也。此聖王之道而万民之大利也。
書き下し
故に兼なる者は、聖王の道なり。王公大人の安んずる所以なり。萬民の衣食の足る所以なり。故に君子は兼を審らかにして務めて之を行うに若くは莫し。人の君と為らば必ず惠、人の臣と為らば必ず忠、人の父と為らば必ず慈、人の子と為らば必ず孝、人の兄と為らば必ず友、人の弟と為らば必ず悌なり。故に君子は惠君・忠臣・慈父・孝子・友兄・悌弟為らんと欲するに若くは莫し。當に兼の行わざる可からざるが若くすべし。此れ聖王の道にして萬民の大利なり。
現代語訳
だから兼とは、聖王の道である。王公大人が安泰でいられる理由である。万民の衣食が足りる理由である。だから君子は、兼を見きわめて努めて行うにまさることはない。人の君となれば必ず恵み、人の臣となれば必ず忠、人の父となれば必ず慈しみ、人の子となれば必ず孝、人の兄となれば必ず友愛し、人の弟となれば必ず敬う。だから君子は、恵み深い君・忠なる臣・慈しみ深い父・孝なる子・友愛ある兄・敬う弟であろうと望むにまさることはない。兼は行わないわけにいかない、と知るべきである。これが聖王の道であり万民の大利である。
解説
兼愛三篇の結びです。ここで兼愛が、儒家的な六つの徳目(惠・忠・慈・孝・友・悌)とそのまま接続されます。兼を実行すれば、六つの関係がすべて満たされる。つまり兼愛は既存の道徳を否定するものではなく、それらを同時に成り立たせる上位の原理として提示されている。孝を害するという反論への、最終的な回答がこの配置です。
この章句が説くこと
兼愛徳目上位原理役割まとめ
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