墨子 / 尚賢中
且夫王公大人有所愛其色而使,其人不察其知,而與其愛,是故不能治百人者,使處乎千人之官;不能治千人者,使處乎萬人之官。此其故何也?曰:「若處官者爵髙而祿厚,故愛其色而使之焉。」夫不能治千人者,使處乎萬人之官,則此官什倍也。夫治之法將日至者也,日以治之,日不什脩,知以治之,知不什益,而予官什倍,則此治一而棄其九矣。雖日夜相接以治若官,官猶若不治。此其故何也?則王公大人不明乎以尚賢使能為政也。故以尚賢使能為政而治者,夫若言之謂也。以下賢為政而亂者,若吾言之謂也。
新字:且夫王公大人有所愛其色而使,其人不察其知,而与其愛,是故不能治百人者,使処乎千人之官;不能治千人者,使処乎万人之官。此其故何也?曰:「若処官者爵高而禄厚,故愛其色而使之焉。」夫不能治千人者,使処乎万人之官,則此官什倍也。夫治之法将日至者也,日以治之,日不什脩,知以治之,知不什益,而予官什倍,則此治一而棄其九矣。雖日夜相接以治若官,官猶若不治。此其故何也?則王公大人不明乎以尚賢使能為政也。故以尚賢使能為政而治者,夫若言之謂也。以下賢為政而乱者,若吾言之謂也。
書き下し
且つ夫れ王公大人、其の色を愛して使う所有り、其の人、其の知を察せずして、其の愛に與す。是の故に百人を治むる能わざる者をして、千人の官に處らしめ、千人を治むる能わざる者をして、萬人の官に處らしむ。此れ其の故は何ぞや。曰く、「若し官に處る者は爵髙くして祿厚し。故に其の色を愛して之を使うなり」と。夫れ千人を治むる能わざる者をして、萬人の官に處らしむれば、則ち此の官は什倍なり。夫れ治の法は將に日ごとに至らんとする者なり。日ごとに以て之を治むるも、日は什に脩まらず、知を以て之を治むるも、知は什に益さず。而も官を予うること什倍なれば、則ち此れ一を治めて其の九を棄つるなり。日夜相接いで以て若の官を治むと雖も、官は猶お治まらざるが若し。此れ其の故は何ぞや。則ち王公大人、尚賢使能を以て政を為すに明らかならざればなり。故に尚賢使能を以て政を為して治まる者は、夫の言の謂いなり。下賢を以て政を為して亂るる者は、吾が言の謂いなり。
現代語訳
そのうえ王公大人は、容姿を気に入って人を用いることがあり、その人の知を見きわめずに、好みのままに任せる。だから百人を治められない者を千人の官に据え、千人を治められない者を一万人の官に据える。それはなぜか。「その官に就けば爵位が高く俸禄が厚い。だから気に入った者を据えるのだ」というわけだ。千人を治められない者を一万人の官に据えれば、その官は十倍である。政務は日ごとに押し寄せてくる。日ごとに処理しても一日が十倍になるわけではなく、知恵で処理しても知恵が十倍になるわけではない。それなのに十倍の官を与えれば、一を処理して九を捨てることになる。昼も夜も続けてその官を処理しても、官は治まらないままだ。それはなぜか。王公大人が、賢を尊び能を用いる政治に明るくないからである。だから賢を尊び能を用いて治まるとは、あの言葉の通りであり、賢者を下に置いて乱れるとは、私の言葉の通りである。
解説
この章句が説くこと
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