墨子 / 非攻中
是故子墨子言曰:「古者有語曰:「君子不鏡於水而鏡於人,鏡於水,見面之容,鏡於人,則知吉與凶。」今以攻戰為利,則盖嘗鑒之於智伯之事乎?此其為不吉而凶,既可得而知矣。」
新字:是故子墨子言曰:「古者有語曰:「君子不鏡於水而鏡於人,鏡於水,見面之容,鏡於人,則知吉与凶。」今以攻戦為利,則盖嘗鑒之於智伯之事乎?此其為不吉而凶,既可得而知矣。」
書き下し
是の故に子墨子言いて曰く、「古者、語有りて曰く、『君子は水に鏡せずして人に鏡す。水に鏡すれば、面の容を見る。人に鏡すれば、則ち吉と凶とを知る』と。今、攻戰を以て利と為さば、則ち盖ぞ嘗みに之を智伯の事に鑒みざる。此れ其の不吉にして凶為ること、既に得て知る可きなり」と。
現代語訳
だから墨子が言った。「むかしこういう言葉がある。『君子は水を鏡にせず、人を鏡にする。水を鏡にすれば顔かたちが見える。人を鏡にすれば、吉と凶が分かる』。いま攻め戦うことを利だとするなら、なぜ智伯の事例に照らして見ないのか。それが不吉であり凶であることは、もう分かるはずだ」。
解説
非攻中篇の結びです。「君子不鏡於水而鏡於人」——人を鏡にする。他人の歴史を自分の判断材料に使う、という一句で、この篇全体が何をしてきたかを言い直しています。莒・陳・蔡・中山の滅亡、呉の転落、智伯の敗死。すべて他人の鏡です。自分の姿は水面では顔しか見えないが、他人の結末を見れば自分の行く先が見える。事例研究の効用を、二千数百年前の一句が言い当てています。
この章句が説くこと
鏡事例他者予見学び方
関連する章句
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『墨子』非攻下是の故に子墨子曰く、今、且つ天下の王公大人・士君子、中情、將に天下の利を興し、天下の害を除かんことを求め欲せば、當に攻伐を繁く為すが若きは、此れ實に天下の巨害なり。今、仁義を為し、上士たるを求めんと欲し、上は聖王の道に中らんと欲し、下は國家百姓の利に中らんと欲せば、故に當に非攻の説の若きにして、將に察せざる可からざる者、此れなり。
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『墨子』非攻中古者、國を天下に封ず。尚き者は耳の聞く所を以てし、近き者は目の見る所を以てするに、攻戰を以て亡ぶる者、勝げて數う可からず。何を以て其の然るを知るや。東方に莒の國なる者有り、其の國為ること甚だ小にして、大國の間に間まる。大に敬事せず、大國も亦た之に從いて愛利せず。是を以て東なる者は越人、其の壤地を夾み削り、西なる者は齊人、兼ねて之を有てり。莒の齊越の間に亡ぶる所以の者を訃るに、是れ攻戰を以てなり。南なる者の陳・蔡と雖も、其の吳越の間に亡ぶる所以の者も、亦た攻戰を以てなり。北なる者の中山諸國と雖も、其の燕・代・胡・貊の間に亡ぶる所以の者も、亦た攻戰を以てなり」と。是の故に子墨子言いて曰く、「古者、王公大人は、情に得るを欲して失うを惡み、故に安きを欲して危うきを惡む。故に當に攻戰して非とせざる可からず」と。
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『墨子』非攻中是の故に子墨子曰く、「古者、語有り、『謀りて得ざれば、則ち往を以て來を知り、見を以て隠を知る』と。謀ること此くの若くんば、得て知る可し。今、師徒、唯だ興起する毋くんばあらず。冬に行けば寒を恐れ、夏に行けば暑を恐る。此れ冬夏を以て為す可からざる者なり。春は則ち民の耕稼樹藝を廢し、秋は則ち民の穫斂を廢す。今、唯だ一時を廢する毋くんばあらざれば、則ち百姓の饑寒凍餒して死する者、勝げて數う可からず。今、嘗みに軍士の竹箭・羽旄・幄幕、甲盾・撥劫の、往きて靡弊腐冷して反らざる者を計るに、勝げて數う可からず。矛㦸・戈劍・乗車の、其の列住碎折靡弊して反らざる者と、勝げて數う可からず。其の馬牛の肥えて往き、瘠せて反り、往きて死亡して反らざる者と、勝げて數う可からず。其の涂道の脩逺にして、糧食輟絶して繼がず、百姓の死する者と、勝げて數う可からざるなり。其の居處の安からず、食飯の時ならず、饑飽の節ならずして、百姓の道に疾病して死する者と、勝げて數う可からず。師を喪うこと多くして勝げて數う可からず、師を喪うこと盡きて勝げて計う可からざれば、則ち是れ鬼神の其の主后を喪うことも、亦た勝げて數う可からず」と。
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『墨子』非攻中攻戰を飾る者の言に曰く、「南は則ち荆・吳の王、北は則ち齊・晉の君、始めて天下に封ぜらるるの時、其の土地の方、未だ數百里に至る有らざるなり。人徒の衆きも、未だ數十萬人に至る有らざるなり。攻戰の故を以て、土地の博きこと數千里有るに至り、人徒の衆きこと數百萬人有るに至る。故に當に攻戰して已む可からざるなり」と。
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『墨子』非儒下又た曰く、「君子は勝ちて奔るを逐わず、函を揜いて射ず、施けば則ち之を助けて車を胥く」と。之に應じて曰く、若し皆な仁人ならば、則ち説くこと無くして相い與せん。仁人は則ち其の取舍是非の理を相い告げ、故無き者は故有るに従い、知らざる者は知有るに従い、辭無ければ必ず服し、善を見れば必ず遷る。何の故にか相い若かん。兩暴、交ごも争いて、其の勝つ者、奔るを逐わず、函を揜いて射ず、施けば則ち之を助けて車を胥くを欲せば、能を盡くすと雖も猶お且つ君子と為るを得ざるなり。意うに暴殘の國なり。聖人、将に世の為に害を除かんとし、師を興して誅罰し、勝ちて将に儒術を用い士卒に令して曰わんとす、「奔るを逐うこと母かれ、函を揜いて射ること勿かれ、施けば則ち之を助けて車を胥け」と。暴亂の人、治を得て天下の害、除かれず。是れ羣もて父母を殘い、而して深く世を賤しむと為すなり。不義、焉より大なるは莫し。
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『臣軌』卷上 公正章それ昧金に正さずして瑩鏡に照らす者は、瑩の能く明らかなるを以てなり。流波に鑑みずして静水に鑑みる者は、静の能く清きを以てなり。鏡・水は明清の性を以て、故に能く物の形を形し、その善悪を見わす。而して物に怨む者無きは、鏡水の至公にして私無きを以てなり。鏡水は至公なるも、猶お怨みを免る。而るを況んや人に於てをや。