墨子 / 法儀
然則奚以為治法而可?故曰:莫若法天。天之行廣而無私,其施厚而不徳,其明久而不衰,故聖王法之。既以天為法,動作有為,必度於天,天之所欲則為之,天所不欲則止。
新字:然則奚以為治法而可?故曰:莫若法天。天之行広而無私,其施厚而不徳,其明久而不衰,故聖王法之。既以天為法,動作有為,必度於天,天之所欲則為之,天所不欲則止。
書き下し
然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。
現代語訳
では、何をもって統治の基準とすればよいのか。だからいう、天に倣うにまさるものはない、と。天の働きは広くて私が無く、その施しは厚くてしかも恩に着せず、その明るさは長く続いて衰えない。だから聖王は天に倣った。天を基準とする以上、何かを動かし何かを為すときには、必ず天に照らして測り、天が望むことは行い、天が望まないことはやめる。
解説
父母・師・君を退けたあとに置かれるのが「天」です。理由が三つ挙がります。広くて私が無いこと、施して恩に着せないこと、長く続いて衰えないこと。人格ではなく、この三つの性質を満たすかどうかで基準を選んでいます。基準は誰かの意向ではなく、偏らず・見返りを求めず・変わらないもの——という条件そのものが、今日の行動指針や評価基準の設計にそのまま使えます。
この章句が説くこと
基準天公平一貫性法
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