墨子 / 尚同下
天下既以治,天子又總天下之義,以尚同於天。故當尚同之為説也,上用之天子,可以治天下矣;中用之諸侯,可用而治其國矣;小用之家君,可而治其家矣。是故大用之,治天下而不窕,小用之,治一國一家而不横者,若道之謂也。」
新字:天下既以治,天子又総天下之義,以尚同於天。故当尚同之為説也,上用之天子,可以治天下矣;中用之諸侯,可用而治其国矣;小用之家君,可而治其家矣。是故大用之,治天下而不窕,小用之,治一国一家而不横者,若道之謂也。」
書き下し
天下、既に以て治まる。天子、又た天下の義を總べて、以て天に尚同す。故に當に尚同の説為るや、上、之を天子に用うれば、以て天下を治む可し。中、之を諸侯に用うれば、用いて其の國を治む可し。小さく之を家君に用うれば、可にして其の家を治む。是の故に大いに之を用うれば、天下を治めて窕からず。小さく之を用うれば、一國一家を治めて横ならざる者は、若の道の謂いなり」と。
現代語訳
天下はすでに治まった。天子はさらに天下の義をまとめて、天に揃える。だから尚同という説は、上は天子に用いれば天下を治められ、中は諸侯に用いればその国を治められ、小さくは家君に用いればその家を治められる。だから大きく用いれば天下を治めて隙間ができず、小さく用いれば一国一家を治めて横に逸れない。この道のことをいうのである」。
解説
尚同下篇の結論です。同じ原理が天下・国・家のどの規模でも成り立つ、という主張で、尚賢中篇にあった「大用之天下則不窕、小用之則不困」とほぼ同じ表現が使われます。原理の良さを規模の可変性で測るのが墨子の一貫した基準です。加えて、天下の上にまた天が置かれ、最上位も無条件ではないという枠組みがここでも保たれています。
この章句が説くこと
規模普遍性原理天可変
関連する章句
-
『墨子』尚同中夫れ既に天子に尚同するも、未だ天に尚同せざる者は、則ち天菑、將に猶お未だ止まざらんとするなり。故に若し天、寒熱を降すこと節ならず、霜雪雨露、時ならず、五榖熟せず六畜遂げず、疾菑戾疫、飄風苦雨、荐臻して至る者は、此れ天の罰を降すなり。將に以て下人の天に尚同せざるを罰せんとするなり。
-
『墨子』尚同上天下の百姓、皆な天に上同するも、一にして天に上同せざれば、則ち菑、猶お未だ去らざるなり。今、若し天、飄風苦雨、湊湊として至る者は、此れ天の百姓の天に上同せざるを罰する所以の者なり。
-
論語・陽貨篇子曰く、「予言うこと無からんと欲す。」子貢曰く、「子如し言わずんば、則ち小子何をか述べん。」子曰く、「天何をか言うや。四時行われ、百物生ず。天何をか言うや。」
-
言志四録・南洲手抄生物は皆死を畏る。人は其れ霊なり、当に死を畏るるの中より死を畏れざるの理を揀び出すべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の権は天に在り、当に之を順受すべし。我れの生るるや自然にして生る、生るる時未だ嘗て喜ぶことを知らず。則ち我の死するや応に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を死す、一に天に聴さんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殻は則ち天を蔵むるの室なり。精気の物と為るや、天此の室に寓す。遊魂の変を為すや、天此の室を離る。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而して吾が性の性たる所以は、恒に死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ昼夜は一理なり、幽明は一理なり。始めを原ねて終りに反らば、死生の理を知る、何ぞ其の易簡にして明白なるや。吾人は当に此の理を以て自省すべし。
-
『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。
-
『墨子』天志上然らば則ち禹湯文武の其の賞を得たるは何を以てなるや。子墨子言いて曰く、其の事、上は天を尊び、中は鬼神に事え、下は人を愛す。故に天意に曰く、「此れ之れ我が愛する所、兼ねて之を愛し、我が利する所、兼ねて之を利す。人を愛する者、此れ博しと為し、人を利する者、此れ厚しと為す」と。故に貴きこと天子と為し、富は天下を有ち、萬世の子孫に業せしむ。傳えて其の善を稱し、方く天下に施し、今に至るまで之を稱し、之を聖王と謂う。然らば則ち桀紂幽厲の其の罰を得たるは何を以てなるや。子墨子言いて曰く、其の事、上は天を詬り、中は鬼を誣い、下は人を賤しむ。故に天意に曰く、「此れ之れ我が愛する所、别ちて之を惡み、我が利する所、交ごも之を賊う。人を惡む者、此れ之を博しと為し、人を賊う者、此れ之を厚しと為す」と。故に其の夀を終うるを得ず、其の世を殁えず、今に至るまで之を毁り、之を暴王と謂う。