墨子 / 非攻下
逮至乎夏王桀,天有命,日月不時,寒暑雜至,五榖焦死,鬼呼國,鸖鳴十餘。夕乃命湯於鑣宫,用受夏之大命:「夏徳大亂,予既卒其命於天矣,往而誅之,必使女堪之。」湯焉敢奉率其衆,是以鄉有夏之境,帝乃使隂暴毁有夏之城。少少,有神來告曰:「夏徳大亂,往攻之,予必使汝大堪之。予既受命於天,天命融隆火于夏之城間西北之隅。」湯奉桀衆以克有屬諸侯於薄,薦章天命,通于四方,而天下諸侯莫敢不賔服,則此湯之所以誅桀也。
新字:逮至乎夏王桀,天有命,日月不時,寒暑雑至,五榖焦死,鬼呼国,鸖鳴十余。夕乃命湯於鑣宫,用受夏之大命:「夏徳大乱,予既卒其命於天矣,往而誅之,必使女堪之。」湯焉敢奉率其衆,是以鄉有夏之境,帝乃使陰暴毁有夏之城。少少,有神来告曰:「夏徳大乱,往攻之,予必使汝大堪之。予既受命於天,天命融隆火于夏之城間西北之隅。」湯奉桀衆以克有属諸侯於薄,薦章天命,通于四方,而天下諸侯莫敢不賔服,則此湯之所以誅桀也。
書き下し
夏王桀に逮び至りて、天に命有り。日月、時ならず、寒暑、雜り至り、五榖、焦れ死し、鬼、國に呼び、鸖、鳴くこと十餘。夕べに乃ち湯に鑣宫に命じ、用て夏の大命を受けしむ。「夏の徳、大いに亂る。予れ既に其の命を天に卒えたり。往きて之を誅せよ。必ず女をして之に堪えしめん」と。湯、焉ち敢えて其の衆を奉率し、是を以て有夏の境に鄉かう。帝、乃ち隂をして暴かに有夏の城を毁たしむ。少少ありて、神有り來りて告げて曰く、「夏の徳、大いに亂る。往きて之を攻めよ。予れ必ず汝をして大いに之に堪えしめん。予れ既に命を天に受く。天、命じて火を夏の城の間、西北の隅に融隆せしむ」と。湯、桀の衆を奉じて以て克ち、諸侯を薄に屬せしめ、天命を薦め章らかにして、四方に通ず。而して天下の諸侯、敢えて賔服せざる莫し。則ち此れ湯の桀を誅せし所以なり。
現代語訳
夏王桀の代になると、天に命があった。日月は時に外れ、寒暑が入り混じって訪れ、五穀は焦げて枯れ、鬼が国に叫び、鶴が十余りも鳴いた。夕方、湯に鑣宮で命が下り、夏の大命を受け継がせた。「夏の徳は大いに乱れた。私はすでにその天命を終わらせた。行ってこれを誅せよ。必ずお前にそれをやり遂げさせよう」。湯はそこで敢えて軍勢を率い、夏の国境へ向かった。帝は暗い力をもって夏の城を突然に崩させた。しばらくして神が来て告げた。「夏の徳は大いに乱れた。行ってこれを攻めよ。私は必ずお前に大いにやり遂げさせよう。私はすでに天から命を受けている。天は命じて、夏の城の西北の隅に火を降ろす」。湯は桀の軍勢を従えて勝ち、諸侯を薄に集め、天命を明らかに示して四方に通じた。そして天下の諸侯で従わない者はなかった。これが湯が桀を誅した理由である。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』非攻下今、夫の師なる者の相い不利を為す者や、曰く、將、勇ならず、士、分たず、兵、利からず、教、習わず、師、衆からず、卒、和せず、威、圉がず、之を害すること久しからず、之を争うこと疾からず、之に孫うこと强からず、心を植うること堅からず、與國の諸侯、疑う。與國の諸侯、疑えば、則ち敵、慮を生じて意、嬴らん。
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『墨子』經說上故。小故は、之れ有るも必ずしも然らず、之れ無ければ必ず然らず。體なり、端有るが若し。大故は、之れ有れば必ず然ること無し、之を見て見を成すが若し。體は、二の一、尺の端の若きなり。知材。知なる者は、知る所以なり。而して必ず知る、眀の若し。慮。慮なる者は、其の知を以て求むる有るなり。而して必ずしも之を得ず、睨るが若し。知。知なる者は、其の知を以て物に過り、而して能く之を貌るなり。見るが若し。恕。恕なる者は、其の知を以て物を論じ、而して其の之を知るや著し。眀の若し。仁。己を愛するは、己を用うるが為に非ず、愛の焉に著しきに若かず。眀の若し。義。志、天下を以て芬と為し、而して能く之を利す。必ずしも用いられず。禮。貴き者は公とし、賤しき者は名とす。而して倶に敬僈有り、等しくして論を異にするなり。行。為す所、名を善くせざるは行なり。為す所、名を善くするは巧なり、盜を為すが若し。
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『墨子』魯問子墨子、公尚過を越に游ばしむ。公尚過、越王に説く。越王、大いに説び、公尚過に謂いて曰く、「先生、茍くも能く子墨子をして越に於いて寡人を教えしめば、請う、故吳の地、方五百里を裂きて以て子墨子に封ぜん」と。公尚過、許諾す。遂に公尚過の為に車五十乗を束ね、以て子墨子を魯に迎えて曰く、「吾れ夫子の道を以て越王に説く。越王、大いに悦びて過に謂いて曰く、『茍くも能く子墨子をして越に至りて寡人を教えしめば、請う、故吳の地、方五百里を裂きて以て子を封ぜん』と」。子墨子、公尚過に謂いて曰く、「子、越王の志を觀るに何若。意うに越王、将に吾が言を聴き、吾が道を用いんとせば、則ち翟、将に往かんとす。腹を量りて食い、身を度りて衣し、自ら羣臣に比せん。奚んぞ能く封を以て為さんや。抑そも越、吾が言を聴かず、吾が道を用いずして、我れ往かば、則ち是れ我れ義を以て糶るなり。之を糶るに鈞しくんば、亦た中國に於いてするのみ。何ぞ必ずしも越に於いてせんや」と。
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『墨子』七患今、其の子を負いて汲む者有り、其の子を井中に隊とせば、其の母は必ず従いて之を拯わん。今、嵗凶に、民饑え、道に餓うるは、此の疚み、子を隊とすより重し。其れ察する無かる可けんや。故に時年、嵗善ければ、則ち民は仁にして且つ良し。時年、嵗凶なれば、則ち民は吝にして且つ惡し。夫れ民に何の常か之れ有らん。為す者寡く、食らう者衆ければ、則ち嵗に豐なること無し。故に曰く、「財足らざれば則ち之を時に反り、食足らざれば則ち之を用に反る」と。故に先民は時を以て財を生じ、本を固くして財を用う、則ち財足る。故に上世の聖王と雖も、豈に能く五榖をして常に收まらしめて、旱水をして至らざらしめんや。然れども凍餓の民無き者は、何ぞや。其の力むること時に急にして、自ら養うこと儉なればなり。故に夏書に曰く「禹に七年の水あり」、殷書に曰く「湯に五年の旱あり」と。此れ其の凶餓に離るること甚し。然れども民の凍餓せざる者は、何ぞや。其の財を生ずること密にして、其の之を用うること節なればなり。
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