墨子 / 非攻上
今有人於此,少見黒曰黒,多見黒曰白,則以此人不知白黒之辨矣;少嘗苦曰苦,多嘗苦曰甘,則必以此人為不知甘苦之辯矣。今小為非,則知而非之。大為非攻國,則不知而非,從而譽之,謂之義。此可謂知義與不義之辨乎?是以知天下之君子也,辨義與不義之亂也。
新字:今有人於此,少見黒曰黒,多見黒曰白,則以此人不知白黒之弁矣;少嘗苦曰苦,多嘗苦曰甘,則必以此人為不知甘苦之弁矣。今小為非,則知而非之。大為非攻国,則不知而非,従而誉之,謂之義。此可謂知義与不義之弁乎?是以知天下之君子也,弁義与不義之乱也。
書き下し
今、人此に有り、少しの黒を見て黒と曰い、多くの黒を見て白と曰わば、則ち此の人を以て白黒の辨を知らずと為さん。少しの苦きを嘗めて苦しと曰い、多くの苦きを嘗めて甘しと曰わば、則ち必ず此の人を以て甘苦の辯を知らずと為さん。今、小さく非を為せば、則ち知りて之を非とす。大いに非を為して國を攻むれば、則ち知らずして非とし、從いて之を譽め、之を義と謂う。此れ義と不義との辨を知ると謂う可けんや。是を以て天下の君子の、義と不義とを辨ずるの亂れたるを知るなり。
現代語訳
いまここに人がいて、少しの黒を見て黒と言い、多くの黒を見て白と言えば、この人は白と黒の区別を知らないと判断するだろう。少しの苦みを味わって苦いと言い、多くの苦みを味わって甘いと言えば、必ずこの人は甘さと苦さの区別を知らないと判断するだろう。いま小さく悪をなせば、それと分かって非難する。大きく悪をなして国を攻めれば、分からずに非難し、それに従って褒め、義と呼ぶ。これで義と不義の区別を知っているといえるだろうか。だから天下の君子が、義と不義の区別において混乱していることが分かるのだ。
解説
前章の議論に、知覚のたとえを重ねます。少しの黒は黒、多くの黒は白——量が増えると判定が反転する人がいたら、その人は色を判別できていない。それと同じことを、我々は善悪について行っている、という指摘です。非攻上篇はこの二章で終わりますが、論証はきわめて簡潔で、量の増加が判定を反転させてはならない、という一点だけで成り立っています。
この章句が説くこと
判定量反転知覚区別
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『墨子』天志下今、天下の諸侯、將に猶お皆な侵凌攻伐兼幷せんとす。此れ一の不辜の人を殺す者と為ること數千萬なり。此れ人の牆垣を踰え、人の子女を格する者と、人の府庫を角し、人の金玉蚤絫を竊む者と為ること、數千萬なり。人の欄牢を踰え、人の牛馬を竊む者と、人の塲園に入り、人の桃李薑を竊む者と、數千萬なり。而るに自ら義なりと曰う。故に子墨子言いて曰く、是れ我を蕡う者は、則ち豈に是れ黒白甘苦の辨を蕡う者に異なる有らんや。今、人此に有り、少なくして之に黒を示せば之を黒と謂い、多く之に黒を示せば白と謂わば、必ず曰わん、「吾が目、亂れて、黒白の别を知らず」と。今、人此に有り、能く少しく之を嘗めて甘しとし、多く嘗めて苦しと謂わば、必ず曰わん、「吾が口、亂れて、其の甘苦の味を知らず」と。今、王公大人の政や、或いは人を殺せば、其の國家、之を禁ず。此れ蚤越して能く多く其の隣國の人を殺せば、因りて以て文義と為す有り。此れ豈に白黒甘苦の别を蕡うに異なる有らんや。
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『墨子』魯問子墨子、魯陽文君に謂いて曰く、「世俗の君子は、皆な小物を知りて大物を知らず。今、人、此に有り。一犬一彘を竊まば則ち之を不仁と謂い、一國一都を竊まば則ち以て義と為す。譬うれば猶お小しく白を視れば之を白と謂い、大いに白を視れば則ち之を黒と謂うがごとし。是の故に世俗の君子、小物を知りて大物を知らざる者は、此の言の謂の若きなり」と。
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『墨子』非攻上今、一人有り、人の園圃に入りて、其の桃李を竊む。衆、聞けば則ち之を非とし、上の政を為す者、得れば則ち之を罰す。此れ何ぞや。人を虧きて自ら利するを以てなり。人の犬豕雞豚を攘む者に至りては、其の不義、又た人の園圃に入りて桃李を竊むより甚だし。是れ何の故ぞや。人を虧くこと愈いよ多きを以て、其の不仁、兹いよ甚だしく、罪、益いよ厚し。人の欄廏に入りて、人の馬牛を取る者に至りては、其の不仁義、又た人の犬豕雞豚を攘むより甚だし。此れ何の故ぞや。其の人を虧くこと愈いよ多きを以てなり。茍くも人を虧くこと愈いよ多ければ、其の不仁、兹いよ甚だしく、罪、益いよ厚し。不辜の人を殺し、其の衣裘を褫ぎ、戈劍を取る者に至りては、其の不義、又た人の欄廏に入りて人の馬牛を取るより甚だし。此れ何の故ぞや。其の人を虧くこと愈いよ多きを以てなり。茍くも人を虧くこと愈いよ多ければ、其の不仁、兹いよ甚だしく、罪、益いよ厚し。此に當たりて、天下の君子は皆な知りて之を非とし、之を不義と謂う。今、大いに國を攻むるを為すに至りては、則ち之を非とせず、從いて之を譽め、之を義と謂う。此れ義と不義との别を知ると謂う可けんや。
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『墨子』非攻下子墨子言いて曰く、今、天下の善しと譽むる所の者は、其の説、將に何為れぞ其れ上は天の利に中り、中は鬼の利に中り、下は人の利に中る、故に之を譽むるか。譽むる意、上は天の利に中り、中は鬼の利に中り、下は人の利に中るを為さざるは無く、故に之を譽むるか。下の愚人をして必ず曰わしむと雖も、「將に其れ上は天の利に中り、中は鬼の利に中り、下は人の利に中るを為さんとす、故に譽むるなり」と。今、天下の義を同じくする所の者は、聖王の法なり。今、天下の諸侯、將に猶お多く皆な攻伐并兼に勉むれば、則ち是れ義を譽むるの名有りて、其の實を察せざるなり。此れ譬うるに猶お盲者の人と白黒の名を命ずるを同じくして、其の物を分かつ能わざるがごとし。則ち豈に别有りと謂わんや。
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『墨子』非攻上一人を殺すを之を不義と謂わば、必ず一の死罪有らん。若し此の説を以て往かば、十人を殺すは十重の不義にして、必ず十の死罪有らん。百人を殺すは百重の不義にして、必ず百の死罪有らん。此に當たりて、天下の君子は皆な知りて之を非とし、之を不義と謂う。今、大いに不義を為して國を攻むるに至りては、則ち之を非とせず、從いて之を譽め、之を義と謂う。情に其の不義を知らざるなり。故に其の言を書して以て後世に遺す。若し其の不義を知らば、夫れ奚の説あってか其の不義を書して以て後世に遺さんや。
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