墨子 / 尚賢中
賢者之治國家也,蚤朝晏退,聴獄治政,是以國家治而刑法正。賢者之長官也,夜寢夙興,收斂關市、山林、澤梁之利,以實官府,是以官府實而財不散。賢者之治邑也,蚤出莫入,耕稼樹藝,聚菽粟,是以菽粟多而民足乎食。故國家治則刑法正,官府實則萬民富。上有以潔為酒醴粢盛,以祭祀天鬼。外有以為皮幣,與四鄰諸侯交接。内有以食饑息勞,將養其萬民,外有以懷天下之賢人。是故上者天鬼富之,外者諸侯與之,内者萬民親之,賢人歸之。以此謀事則得,舉事則成,入守則固,出誅則彊。故唯昔三代聖王堯舜禹湯文武之所以王天下、正諸侯者,此亦其法已。
新字:賢者之治国家也,蚤朝晏退,聴獄治政,是以国家治而刑法正。賢者之長官也,夜寝夙興,収斂関市、山林、沢梁之利,以実官府,是以官府実而財不散。賢者之治邑也,蚤出莫入,耕稼樹芸,聚菽粟,是以菽粟多而民足乎食。故国家治則刑法正,官府実則万民富。上有以潔為酒醴粢盛,以祭祀天鬼。外有以為皮幣,与四鄰諸侯交接。内有以食饑息労,将養其万民,外有以懐天下之賢人。是故上者天鬼富之,外者諸侯与之,内者万民親之,賢人帰之。以此謀事則得,舉事則成,入守則固,出誅則彊。故唯昔三代聖王堯舜禹湯文武之所以王天下、正諸侯者,此亦其法已。
書き下し
賢者の國家を治むるや、蚤に朝して晏く退き、獄を聴き政を治む。是を以て國家治まりて刑法正し。賢者の官に長たるや、夜に寢ね夙に興き、關市・山林・澤梁の利を收斂して、以て官府を實たす。是を以て官府實ちて財散ぜず。賢者の邑を治むるや、蚤に出でて莫に入り、耕稼樹藝して菽粟を聚む。是を以て菽粟多くして民は食に足る。故に國家治まれば則ち刑法正しく、官府實つれば則ち萬民富む。上には以て潔く酒醴粢盛を為りて、以て天鬼を祭祀する有り。外には以て皮幣を為りて、四鄰の諸侯と交接する有り。内には以て饑えたるを食らわせ勞れたるを息わせ、其の萬民を將養する有り。外には以て天下の賢人を懷くる有り。是の故に上なる者は天鬼之を富まし、外なる者は諸侯之に與し、内なる者は萬民之に親しみ、賢人之に歸す。此を以て事を謀れば則ち得、事を舉ぐれば則ち成り、入りて守れば則ち固く、出でて誅すれば則ち彊し。故に唯だ昔の三代の聖王、堯舜禹湯文武の天下に王たり諸侯を正しくせし所以の者は、此れ亦た其の法のみ。
現代語訳
賢者が国家を治めるときは、早く朝廷に出て遅く退き、訴訟を聞き政務を処理する。だから国家は治まり刑法は正しい。賢者が役所の長であるときは、夜に寝て朝早く起き、関所や市場、山林、沼沢の利を集めて役所の蔵を満たす。だから蔵は満ち財は散らない。賢者が町を治めるときは、朝早く出て日暮れに帰り、耕し植えて穀物を集める。だから穀物は多く民の食は足りる。だから国家が治まれば刑法は正しく、役所が満ちれば万民は富む。上に対しては清らかな供物を用意して天と鬼神を祭ることができ、外に対しては贈り物を用意して近隣の諸侯と交わることができ、内に対しては飢えた者に食べさせ疲れた者を休ませ万民を養うことができ、外に対しては天下の賢人を招くことができる。だから上では天と鬼神がこれを富ませ、外では諸侯が味方し、内では万民が親しみ、賢人が集まってくる。これで事を謀れば得られ、事を起こせば成り、退いて守れば固く、出て討てば強い。だから三代の聖王、堯舜禹湯文武が天下に王となり諸侯を正した理由も、この方法にほかならない。
解説
この章句が説くこと
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史記 趙世家是に於て趙乃ち輟め、秦に謝して斉を撃たず。王燕王と遇ふ。廉頗将として、斉の昔陽を攻め、之を取る。十七年、楽毅趙の師に将として魏の伯陽を攻む。而して秦、趙の己と斉を撃たざるを怨み、趙を伐ち、我が両城を抜く。十八年、秦我が石城を抜く。王再び衛の東陽に之き、河水を決し、魏氏を伐つ。大いに潦し、漳水出づ。魏冉来りて趙に相たり。十九年、秦我が二城を取る。趙魏に伯陽を与ふ。趙奢将として、斉の麦丘を攻め、之を取る。二十年、廉頗将として斉を攻む。王秦の昭王と西河の外に遇ふ。二十一年、趙漳水を武平の西に徙す。二十二年、大いに疫す。公子丹を置きて太子と為す。二十三年、楼昌将として、魏の幾を攻むるも、取ること能はず。十二月、廉頗将として、幾を攻め、之を取る。二十四年、廉頗将として、魏の房子を攻め、之を抜き、因りて城きて還る。又安陽を攻め、之を取る。二十五年、燕周将として、昌城・高唐を攻め、之を取る。魏と共に秦を撃つ。秦の将白起我を華陽に破り、一将軍を得たり。二十六年、東胡の代を欧ひし地を取る。二十七年、漳水を武平の南に徙す。趙豹を封じて平陽君と為す。河水出で、大いに潦す。二十八年、藺相如斉を伐ち、平邑に至る。城北の九門の大城を罷む。燕の将成安君公孫操其の王を弑す。二十九年、秦・韓相攻めて、閼与を囲む。趙、趙奢をして将として秦を撃たしめ、大いに秦軍を閼与の下に破り、号を賜ひて馬服君と為す。三十三年、恵文王卒し、太子丹立つ、是を孝成王と為す。孝成王元年、秦我を伐ち、三城を抜く。趙王新たに立ち、太后事を用ふ。秦急に之を攻む。趙氏救ひを斉に求む。斉曰く、「必ず長安君を以て質と為さば、兵乃ち出でん」と。太后肯ぜず。大臣彊く諫む。
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国語・楚語下王孫圉(おうそんぎょ)晋に聘す。定公之を饗す。趙簡子玉を鳴らして以て相(しょう)たり。王孫圉に問いて曰く、「楚の白珩(はくこう)猶お在りや」と。対えて曰く、「然り」と。簡子曰く、「其の宝為ること、幾何(いくばく)ぞや」と。 曰く、「未だ嘗て宝と為さず。楚の宝とする所の者は、観射父と曰う。能く訓辞を作りて、以て事を諸侯に行い、寡君を以て口実と為すこと無からしむ。又左史倚相有り。能く訓典を道いて、以て百物を敘し、以て朝夕善敗を寡君に献じ、寡君をして先王の業を忘るること無からしむ。又能く上下鬼神に説き、其の欲悪に順道し、神をして楚国に怨痛有ること無からしむ。又藪有りて雲連徒洲(うんれんとしゅう)と曰う。金木竹箭の生ずる所なり。亀・珠・角・歯・皮・革・羽・毛は、以て賦に備えて、以て不虞に戒むる所以の者なり。以て幣帛を共(きょう)して、以て諸侯に賓享する所以の者なり。若し諸侯の好む幣具わりて、之を導くに訓辞を以てし、不虞の備え有りて、皇神之を相(たす)けば、寡君其れ以て罪を諸侯に免るべくして、国民保たれん。此れ楚国の宝なり。若し夫れ白珩は、先王の玩なり、何ぞ之を宝とせん。 「圉聞く、国の宝は六のみ、と。明王聖人能く百物を制議して、以て国家を輔相すれば、則ち之を宝とす。玉以て嘉穀を庇廕(ひいん)し、水旱の災い無からしむるに足れば、則ち之を宝とす。亀以て臧否(ぞうひ)を憲(しめ)すに足れば、則ち之を宝とす。珠以て火災を禦ぐに足れば、則ち之を宝とす。金以て兵乱を禦ぐに足れば、則ち之を宝とす。山林藪沢以て財用に備うるに足れば、則ち之を宝とす。若し夫れ譁囂(かごう)の美は、楚蛮夷なりと雖も、宝とすること能わざるなり」と。
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人生を、一行の式にしてみた。
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