墨子 / 辭過
古之民未知為飲食時,素食而分處。故聖人作誨男耕稼樹藝,以為民食。其為食也,足以増氣充虚、彊體適腹而已矣。故其用財節,其自養儉,民富國治。今則不然,厚作斂於百姓,以為美食芻豢,蒸炙魚鼈,大國累百器,小國累十器,前方丈,目不能徧視,手不能徧操,口不能徧味,夏則設冰冬則飾饐。人君為飲食如此,故左右象之,是以富貴者奢侈,孤寡者凍餒,欲無亂,不可得也。君實欲天下治而惡其亂,當為飲食不可不節。
新字:古之民未知為飲食時,素食而分処。故聖人作誨男耕稼樹芸,以為民食。其為食也,足以増気充虚、彊体適腹而已矣。故其用財節,其自養倹,民富国治。今則不然,厚作斂於百姓,以為美食芻豢,蒸炙魚鼈,大国累百器,小国累十器,前方丈,目不能遍視,手不能遍操,口不能遍味,夏則設冰冬則飾饐。人君為飲食如此,故左右象之,是以富貴者奢侈,孤寡者凍餒,欲無乱,不可得也。君実欲天下治而悪其乱,当為飲食不可不節。
書き下し
古の民、未だ飲食を為るを知らざる時、素食して分れ處る。故に聖人、作りて男に耕稼樹藝を誨えて、以て民の食を為らしむ。其の食を為るや、以て氣を増し虚を充たし、體を彊くし腹に適うに足るのみ。故に其の財を用うること節にして、其の自ら養うこと儉なれば、民富み國治まる。今は則ち然らず。厚く百姓に作斂して、以て美食・芻豢・蒸炙・魚鼈を為り、大國は百器を累ね、小國は十器を累ね、前は方丈にして、目は徧く視る能わず、手は徧く操る能わず、口は徧く味わう能わず。夏は則ち冰を設け、冬は則ち饐を飾る。人君の飲食を為すこと此くの如し。故に左右之に象る。是を以て富貴なる者は奢侈にして、孤寡なる者は凍餒す。亂無からんと欲するも、得可からざるなり。君、實に天下の治を欲して其の亂を惡まば、當に飲食を為すは節せざる可からず。
現代語訳
むかしの民がまだ飲食を作ることを知らなかったころ、粗末に食べて散らばって暮らした。そこで聖人が男に耕作と栽培を教えて、民の食を作らせた。その食の作り方は、気を増し空腹を満たし、体を強くし腹に適えばそれで足りるというものだった。だから財の使い方が節度あり、自らの暮らしが倹しかったから、民は富み国は治まった。今はそうでない。民から重く取り立てて、美食・家畜の肉・蒸し焼き・魚や鼈を用意し、大国では百の器を並べ、小国でも十の器を並べ、目の前は一丈四方に広がり、目はすべてを見きれず、手はすべてを取りきれず、口はすべてを味わいきれない。夏には氷を用意し、冬には保存食を飾る。君主の飲食がこうだから、側近もこれに倣う。だから富み貴い者は奢り、孤児や寡婦は凍え飢える。乱れがないようにと望んでも、得られるはずがない。君主が本当に天下が治まることを望み乱れることを憎むなら、飲食に節度が無くてはならない。
解説
この章句が説くこと
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