墨子 / 兼愛下
然即敢問:今有平原廣野於此,被甲嬰胄,將往戰,死生之權未可識也;又有君大夫之逺使於巴、越、齊、荆,往來及否未及否,未可識也。然即將家室,奉承親戚,提挈妻子,而寄託之,不識於兼之有是乎?於别之有是乎?哉以為當其於此也,天下無愚夫愚婦,雖非兼之人,必寄託之於兼之有是也。言而非兼,擇即此言行拂也。不識天下之士,所以皆聞兼而非之者,其故何也?
新字:然即敢問:今有平原広野於此,被甲嬰胄,将往戦,死生之権未可識也;又有君大夫之遠使於巴、越、斉、荆,往来及否未及否,未可識也。然即将家室,奉承親戚,提挈妻子,而寄託之,不識於兼之有是乎?於別之有是乎?哉以為当其於此也,天下無愚夫愚婦,雖非兼之人,必寄託之於兼之有是也。言而非兼,択即此言行払也。不識天下之士,所以皆聞兼而非之者,其故何也?
書き下し
然らば即ち敢えて問う。今、此に平原廣野有り、甲を被り胄を嬰け、將に往きて戰わんとし、死生の權、未だ識る可からざるなり。又た君大夫の巴・越・齊・荆に逺使する有り、往來して及ぶや否や、未だ及ぶや否や、識る可からざるなり。然らば即ち將に家室を、親戚を奉承し、妻子を提挈して、之を寄託せんとするに、識らず、兼に於て是れ有らんか、别に於て是れ有らんか。哉ぞ以て其の此に於けるに當たりては、天下に愚夫愚婦無く、兼を非とするの人と雖も、必ず之を兼に寄託するに是れ有らんと為さん。言いて兼を非とし、擇びては即ち此れ言行の拂うなり。識らず、天下の士の、皆な兼を聞きて之を非とする所以の者は、其の故、何ぞや。
現代語訳
では敢えて問う。いまここに広い平原があり、鎧をまとい兜をかぶって戦いに赴こうとしている。生きて帰れるかどうかは分からない。また君や大夫が巴・越・斉・荊へ遠く使いに出る。往復して戻れるかどうかは分からない。そうしたとき、家族を、親戚を託し、妻子を連れていって預けようとする。さて、兼を執る者に預けるか、別を執る者に預けるか。思うに、この場面になれば、天下に愚かな男も愚かな女もいない。兼を否定する人であっても、必ず兼を執る者に預けるだろう。口では兼を否定しながら、選ぶ段になればこうなる。これは言葉と行いが背いているということだ。分からないのは、天下の士がみな兼を聞いてそれを否定するのは、いったいなぜなのか、ということである。
解説

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