墨子 / 所染
齊桓染於管仲、鮑叔,晉文染於舅犯、髙偃,楚莊染於孫叔、沈尹,吳闔閭染於伍員、文義,越句踐染於范蠡、大夫種。此五君所染當,故霸諸侯,功名傳於後世。范吉射染於長栁朔、王中行寅染於籍秦、髙彊,吳夫差染於王孫雒、太宰嚭,知伯瑶染於智國、張武,中山尚染於魏義、偃長,宋康染於唐鞅、伷不禮。此六君者所染不當,故國家殘亡,身為刑戮,宗廟破滅,絶無後類,君臣離散,民人流亡。舉天下之貪暴苛擾者,必稱此六君也。凡君之所以安者,何也?以其行理也,行理生於染當。故善為君者,勞於論人,而佚于治官。不能為君者,傷形費神,愁心勞意,然國逾危,身逾辱。此六君者,非不重其國、愛其身也,以不知要故也。不知要者,所染不當也。
新字:斉桓染於管仲、鮑叔,晋文染於舅犯、高偃,楚荘染於孫叔、沈尹,呉闔閭染於伍員、文義,越句践染於范蠡、大夫種。此五君所染当,故覇諸侯,功名伝於後世。范吉射染於長栁朔、王中行寅染於籍秦、高彊,呉夫差染於王孫雒、太宰嚭,知伯瑶染於智国、張武,中山尚染於魏義、偃長,宋康染於唐鞅、伷不礼。此六君者所染不当,故国家残亡,身為刑戮,宗廟破滅,絶無後類,君臣離散,民人流亡。舉天下之貪暴苛擾者,必称此六君也。凡君之所以安者,何也?以其行理也,行理生於染当。故善為君者,労於論人,而佚于治官。不能為君者,傷形費神,愁心労意,然国逾危,身逾辱。此六君者,非不重其国、愛其身也,以不知要故也。不知要者,所染不当也。
書き下し
齊桓は管仲・鮑叔に染まり、晉文は舅犯・髙偃に染まり、楚莊は孫叔・沈尹に染まり、吳の闔閭は伍員・文義に染まり、越の句踐は范蠡・大夫種に染まる。此の五君は染まる所當たれり、故に諸侯に霸たり、功名は後世に傳わる。范吉射は長栁朔・王に染まり、中行寅は籍秦・髙彊に染まり、吳の夫差は王孫雒・太宰嚭に染まり、知伯瑶は智國・張武に染まり、中山尚は魏義・偃長に染まり、宋康は唐鞅・伷不禮に染まる。此の六君なる者は染まる所當たらず、故に國家殘亡し、身は刑戮せられ、宗廟破滅し、絶えて後類無く、君臣離散し、民人流亡す。天下の貪暴苛擾なる者を舉ぐれば、必ず此の六君を稱するなり。凡そ君の安んずる所以の者は、何ぞや。其の理を行うを以てなり。理を行うは染まる所の當たるに生ず。故に善く君為る者は、人を論ずるに勞して、官を治むるに佚す。君為る能わざる者は、形を傷り神を費やし、心を愁えしめ意を勞せしむるも、然れども國は逾いよ危うく、身は逾いよ辱めらる。此の六君なる者は、其の國を重んじ其の身を愛せざるに非ざるなり、要を知らざるを以ての故なり。要を知らざる者は、染まる所當たらざるなり。
現代語訳
斉の桓公は管仲と鮑叔に染まり、晋の文公は舅犯と高偃に染まり、楚の荘王は孫叔敖と沈尹に染まり、呉の闔閭は伍子胥と文義に染まり、越の句践は范蠡と大夫種に染まった。この五君は染まった相手が適切だったから、諸侯の覇者となり、功と名が後世に伝わった。范吉射は長柳朔と王に染まり、中行寅は籍秦と高彊に染まり、呉の夫差は王孫雒と太宰嚭に染まり、知伯瑶は智国と張武に染まり、中山の尚は魏義と偃長に染まり、宋の康王は唐鞅と伷不礼に染まった。この六君は染まった相手が適切でなかったから、国家は滅び、身は処刑され、宗廟は破れ、跡継ぎは絶え、君臣は離散し、民は流亡した。天下の貪欲・粗暴・苛烈な者を挙げれば、必ずこの六君が挙がる。そもそも君主が安泰でいられるのは何によるのか。道理を行うからである。道理を行えるかどうかは、染まった相手が適切かどうかから生まれる。だから、よい君主は人を見きわめることに苦労し、役所を治めることでは楽をする。君主になれない者は、身をすり減らし神経を使い、心を憂えさせ意を労させながら、それでも国はますます危うく、身はますます辱められる。この六君は、自分の国を大事にせず自分の身を惜しまなかったわけではない。要点を知らなかったからである。要点を知らないとは、染まる相手が適切でないということだ。
解説
この章句が説くこと
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