墨子 / 非攻下
則夫好攻伐之君又飾其説曰:我非以金玉子女壤地為不足也,我欲以義名立於天下,以徳來諸侯也。子墨子曰:今若有能以義名立於天下,以徳來諸侯者,天下之服可立而待也。夫天下處攻伐久矣,譬猶傅子之為馬然。
新字:則夫好攻伐之君又飾其説曰:我非以金玉子女壤地為不足也,我欲以義名立於天下,以徳来諸侯也。子墨子曰:今若有能以義名立於天下,以徳来諸侯者,天下之服可立而待也。夫天下処攻伐久矣,譬猶傅子之為馬然。
書き下し
則ち夫の攻伐を好むの君、又た其の説を飾りて曰く、我れ金玉子女壤地を以て足らずと為すに非ざるなり。我れ義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來さんと欲するなり、と。子墨子曰く、今、若し能く義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來す者有らば、天下の服すること立ちどころに待つ可きなり。夫れ天下、攻伐に處ること久し。譬うるに猶お傅子の馬を為るが然り。
現代語訳
すると攻め伐つことを好む君主は、また自説を飾ってこう言う。「私は金玉や子女や土地が足りないからやっているのではない。義の名を天下に立て、徳によって諸侯を来させたいのだ」。墨子が言った。いま本当に義の名を天下に立て、徳によって諸侯を来させられる者がいるなら、天下が従うのは立ったまま待てるほど早いだろう。天下は攻め伐つことに慣れきってしまって久しい。たとえば子どもが馬のまねをして遊んでいるようなものだ。
解説
三つ目の反論は、動機を高尚なものに言い換えたものです。土地や財のためではなく、義と徳のためにやっている、と。墨子はこれを否定せず、では義と徳でやるならこうなるはずだ、と次章で具体案を示します。相手の掲げた目的を受け入れたうえで、その目的に本当に適う手段を提示する——議論を勝ち負けにせず、選択肢の比較に持ち込む型です。
この章句が説くこと
動機言い換え目的手段議論の型
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