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墨子 / 法儀

然則奚以為治法而可?當皆法其父母奚若?天下之為父母者衆,而仁者寡,若皆法其父母,此法不仁也。法不仁,不可以為法。當皆法其學奚若?天下為學者衆,而仁者寡,若皆法其學,此法不仁也。法不仁,不可以為法。當皆法其君奚若?天下之為君者衆,而仁者寡,若皆法其君,此法不仁也。法不仁,不可以為法。故父母、學、君三者,莫可以為治法。

新字:然則奚以為治法而可?当皆法其父母奚若?天下之為父母者衆,而仁者寡,若皆法其父母,此法不仁也。法不仁,不可以為法。当皆法其学奚若?天下為学者衆,而仁者寡,若皆法其学,此法不仁也。法不仁,不可以為法。当皆法其君奚若?天下之為君者衆,而仁者寡,若皆法其君,此法不仁也。法不仁,不可以為法。故父母、学、君三者,莫可以為治法。

書き下し

然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。

現代語訳

では、何をもって統治の基準とすればよいのか。みな自分の父母に倣うとすればどうか。天下で父母である者は多いが、仁である者は少ない。もしみな父母に倣えば、この基準は不仁である。基準が不仁なら、基準にはできない。みな自分の師に倣うとすればどうか。天下で師である者は多いが、仁である者は少ない。もしみな師に倣えば、この基準は不仁である。基準が不仁なら、基準にはできない。みな自分の君主に倣うとすればどうか。天下で君主である者は多いが、仁である者は少ない。もしみな君主に倣えば、この基準は不仁である。基準が不仁なら、基準にはできない。だから父母・師・君主の三者は、いずれも統治の基準にはできない。

解説

儒家が拠って立つ三つの権威——親・師・君——を、同じ論法で三度続けて退けます。理由は一つだけで、母数が多く仁である者が少ないから。人格や身分ではなく統計で権威を却下する、という珍しい形の議論です。ここで排除された三者の代わりに何を置くかが、次の章の主題になります。身近な権威に倣うことを「基準」と呼んでよいのかという問いは、社内の慣例や前任者のやり方を根拠にしがちな場面にそのまま効きます。

この章句が説くこと

基準権威慣例判断のよりどころ

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