墨子 / 尚賢中
則此言三聖人者,謹其言,慎其行,精其思慮,索天下之隠事遺利以上事天,則天鄉其徳。下施之萬民,萬民被其利,終身無巳。故先王之言曰:「此道也,大用之天下則不窕,小用之則不困,脩用之則萬民被其利,終身無巳。」《周頌》道之曰:「聖人之徳,若天之髙,若地之普,其有昭於天下也。若地之固,若山之承,不坼不崩。若日之光,若月之明,與天地同常。」則此言聖人之徳章明博大,埴固以脩久也。故聖人之徳,盖總乎天地者也。
新字:則此言三聖人者,謹其言,慎其行,精其思慮,索天下之隠事遺利以上事天,則天鄉其徳。下施之万民,万民被其利,終身無巳。故先王之言曰:「此道也,大用之天下則不窕,小用之則不困,脩用之則万民被其利,終身無巳。」《周頌》道之曰:「聖人之徳,若天之高,若地之普,其有昭於天下也。若地之固,若山之承,不坼不崩。若日之光,若月之明,与天地同常。」則此言聖人之徳章明博大,埴固以脩久也。故聖人之徳,盖総乎天地者也。
書き下し
則ち此れ三聖人なる者、其の言を謹み、其の行を慎み、其の思慮を精しくし、天下の隠事遺利を索めて、以て上は天に事えしを言う。則ち天、其の徳を鄉く。下は之を萬民に施し、萬民、其の利を被り、身を終うるまで已むこと無し。故に先王の言に曰く、「此の道や、大いに之を天下に用うれば則ち窕からず、小さく之を用うれば則ち困しまず、脩めて之を用うれば則ち萬民、其の利を被り、身を終うるまで已むこと無し」と。周頌、之を道いて曰く、「聖人の徳は、天の髙きが若く、地の普きが若く、其の天下に昭かなること有り。地の固きが若く、山の承くるが若く、坼けず崩れず。日の光の若く、月の明の若く、天地と常を同じくす」と。則ち此れ聖人の徳の章明博大、埴固にして以て脩久なるを言うなり。故に聖人の徳は、盖し天地を總ぶる者なり。
現代語訳
これは三人の聖人が、言葉を謹み、行いを慎み、思慮を精密にし、天下の隠れた事柄や見落とされた利を探し出して上は天に仕えたことを言っている。だから天はその徳を受け入れた。下はそれを万民に施し、万民はその利を受けて、生涯やむことがなかった。だから先王の言葉にいう、「この道は、大きく天下に用いても隙間ができず、小さく用いても窮屈にならず、修めて用いれば万民がその利を受けて生涯やむことがない」。『周頌』はこう語る。「聖人の徳は、天の高きがごとく、地の広きがごとく、天下に明らかである。地の固さのごとく、山の支えのごとく、裂けず崩れない。日の光のごとく、月の明るさのごとく、天地と同じく永く続く」。これは聖人の徳が明らかで広大で、堅固で長続きすることを言っている。だから聖人の徳は、天地を統べるものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・八佾篇王孫賈問う、『其の奥に媚ぶるよりは寧ろ竈に媚ぶと。何の謂いぞ。』子曰く、『然らず。天に罪を獲ば、祷る所無し。』
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説苑・立節左儒杜伯に友たり。皆周の宣王に臣たり。宣王将に杜伯を殺さんとするも其の罪に非ず。左儒之を王に争う。九たび之を復すも王許さず。王曰わく、「君に別れて友を異にするは、斯れ汝なり」と。左儒対えて曰わく、「臣之を聞く、君道にして友逆らわば、則ち君に順いて友を誅す。友道にして君逆らわば、則ち友を率いて君に違うと」と。王怒りて曰わく、「而の言を易えば則ち生き、易えずんば則ち死せん」と。左儒対えて曰わく、「臣之を聞く、古の士義を枉げて以て死に従わず、言を易えて以て生を求めずと。故に臣能く君の過を明らかにして、以て杜伯の罪無きに死せん」と。王杜伯を殺す。左儒之に死す。
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孫子・九変篇故に将、九変の利に通ずる者は、用兵を知る。将、九変の利に通ぜざれば、地形を知ると雖も、地の利を得ること能わず。兵を治めて九変の術を知らざれば、地利を知ると雖も、人の用を得ること能わず。
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