墨子 / 兼愛中
是故子墨子言曰:今天下之君子,中實欲天下之士富,而惡其貧;欲天下之治,而惡其亂,當兼相愛、交相利。此聖王之法,天下之治道也,不可不務為也。
新字:是故子墨子言曰:今天下之君子,中実欲天下之士富,而悪其貧;欲天下之治,而悪其乱,当兼相愛、交相利。此聖王之法,天下之治道也,不可不務為也。
書き下し
是の故に子墨子言いて曰く、今、天下の君子、中實に天下の士の富むを欲して、其の貧しきを惡み、天下の治まるを欲して、其の亂るるを惡まば、當に兼ねて相い愛し、交ごも相い利すべし。此れ聖王の法、天下の治道なり。務めて為さざる可からざるなり。
現代語訳
だから墨子が言った。いま天下の君子が、本心から天下の士が富むことを望んでその貧しさを憎み、天下が治まることを望んでその乱れを憎むなら、兼ねて互いに愛し交わって互いに利するべきである。これが聖王の法であり、天下を治める道である。努めて行わないわけにいかない。
解説
兼愛中篇の結びです。前提として置かれるのは「中實欲」——本心から望むなら、という条件です。望むと言いながら手段を採らない状態を、この一語が突いています。目的と手段の整合を確認するのが墨子の一貫した進め方で、尚賢篇の書き出し(望んだのと逆の結果が出ている)から、ここまで同じ問いが続いています。
この章句が説くこと
目的と手段整合兼愛本心聖王の法
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