墨子 / 節葬下
今執厚葬久喪者言曰:厚葬久喪果非聖王之道,夫胡説中國之君子為而不已、操而不擇哉?子墨子曰:此所謂便其習而義其俗者也。昔者越之東有□沐之國者,其長子生,則解而食之,謂之宜弟。其大父死,負其大母而棄之,曰:「鬼妻不可與居處。」此上以為政,下以為俗,為而不已,操而不擇。則此豈實仁義之道哉?此所謂便其習而義其俗者也。
新字:今執厚葬久喪者言曰:厚葬久喪果非聖王之道,夫胡説中国之君子為而不已、操而不択哉?子墨子曰:此所謂便其習而義其俗者也。昔者越之東有□沐之国者,其長子生,則解而食之,謂之宜弟。其大父死,負其大母而棄之,曰:「鬼妻不可与居処。」此上以為政,下以為俗,為而不已,操而不択。則此豈実仁義之道哉?此所謂便其習而義其俗者也。
書き下し
今、厚葬久喪を執る者、言いて曰く、厚葬久喪、果たして聖王の道に非ずんば、夫れ胡ぞ中國の君子の為して已まず、操りて擇ばざるを説かんや、と。子墨子曰く、此れ謂う所の其の習に便じて其の俗を義とする者なり。昔者、越の東に□沐の國なる者有り。其の長子、生まるれば、則ち解きて之を食らい、之を弟に宜しと謂う。其の大父、死すれば、其の大母を負いて之を棄てて曰く、「鬼の妻とは與に居處す可からず」と。此れ上は以て政を為し、下は以て俗を為し、為して已まず、操りて擇ばず。則ち此れ豈に實に仁義の道ならんや。此れ謂う所の其の習に便じて其の俗を義とする者なり。
現代語訳
いま手厚い葬儀と長い喪を主張する者はこう言う。「手厚い葬儀と長い喪がほんとうに聖王の道でないなら、なぜ中原の君子はそれをやめず、行って選び直さないと説明するのか」。墨子が言った。それはいわゆる、習わしに慣れてその風俗を義だと思い込んでいる、というものである。むかし越の東に□沐という国があった。その国では長男が生まれると解体して食べ、それを「弟のためになる」と言った。祖父が死ぬと、祖母を背負って捨てて「鬼の妻とは一緒に住めない」と言った。これを上は政治とし、下は風俗とし、行ってやめず、選び直さない。これがほんとうに仁義の道だろうか。これがいわゆる、習わしに慣れてその風俗を義だと思い込んでいる、というものである。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』節葬下楚の南に炎人國なる者有り。其の親戚、死すれば、其の肉を朽ちしめて之を棄て、然る後に其の骨を埋め、乃ち成りて孝子と為る。秦の西に儀秉の國なる者有り。其の親戚、死すれば、柴薪を聚めて之を焚き、燻して上らしめ、之を登遐と謂い、然る後に成りて孝子と為る。此れ上は以て政を為し、下は以て俗を為し、為して已まず、操りて擇ばず。則ち此れ豈に實に仁義の道ならんや。此れ謂う所の其の習に便じて其の俗を義とする者なり。若し此の若の三國を以て之を觀れば、則ち亦た猶お薄し。若し中國の君子、之を觀れば、則ち亦た猶お厚し。彼の如きは則ち大いに厚く、此の如きは則ち大いに薄し。然らば則ち葬埋に節有り。
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『墨子』節葬下是の故に子墨子曰く、郷に吾が本と言えらく、意うに亦た其の言をして、其の謀を用いて、厚葬久喪を計るに、誠に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からんか。則ち仁なり、義なり、孝子の事なり。人の為に謀る者は、勸めざる可からざるなり。意うに亦た其の言に法り、其の謀を用いて、人の若きの厚葬久喪、實に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からざらんか。則ち仁に非ざるなり、義に非ざるなり、孝子の事に非ざるなり。人の為に謀る者は、沮まざる可からざるなり。是の故に以て國家を富まさんことを求むるも、甚だ貧を得たり。以て人民を衆くせんと欲するも、甚だ寡を得たり。以て刑政を治めんと欲するも、甚だ亂を得たり。以て大國の小國を攻むるを禁止せんことを求むるも、既已に不可なり。以て上帝鬼神の福を千めんと欲するも、又た禍を得たり。上、之を堯舜禹湯文武の道に稽うるに、政、之に逆らう。下、之を桀紂幽厲の事に稽うるに、猶お節を合わするがごとし。若し此を以て觀れば、則ち厚葬久喪は、其れ聖王の道に非ざるなり。
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『墨子』節葬下意うに亦た其の言に法り、其の謀を用いて、厚葬久喪、實に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からざらしめんか。此れ仁に非ず義に非ず、孝子の事に非ざるなり。人の為に謀る者は勸めざる可からざるなり。仁者は將に之を天下に興さんとし、誰か霸として民をして之を譽めしめ、終に廢する勿からしめん。意うに亦た其の言に法り、其の謀を用いて、厚葬久喪、實に以て貧を富まし寡を衆くし、危を定め亂を理む可からざらんか。此れ仁に非ず義に非ず、孝子の事に非ざるなり。人の為に謀る者は沮まざる可からざるなり。仁者は將に之を除かんことを求め、天下、相い廢して人をして之を非とせしめ、身を終うるまで為す勿からしめん。且つ故に天下の利を興し、天下の害を除くに、今、國家百姓の治まらざるや、古より今に及ぶまで未だ嘗て之れ有らざるなり。
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『墨子』節葬下今、昔者の三代の聖王の既に沒せしに逮び至りて、天下、義を失う。後世の君子、或いは厚葬久喪を以て仁と為し、義と為し、孝子の事と為す。或いは厚葬久喪を以て仁義に非ず、孝子の事に非ずと為す。曰く、二子なる者は、言は則ち相い非とし、行いは即ち相い反す。皆な曰く、「吾れ上は堯舜禹湯文武の道を祖述する者なり」と。而も言は即ち相い非とし、行いは即ち相い反す。此に於て後世の君子、皆な二子なる者の言に疑惑す。
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『墨子』節葬下何を以て其の然るを知るや。今、天下の士君子、將に猶お多く皆な厚葬久喪の是非利害に中たるを疑惑せんとす。故に子墨子言いて曰く、然らば則ち姑く嘗みに之を稽えん。今、厚葬久喪を執る者の言に法り、以て國家に事を為すこと毋しと雖も。此れ王公大人の喪有る者に存りては、曰く、棺槨は必ず重ね、葬埋は必ず厚くし、衣衾は必ず多く、文繡は必ず繁く、丘隴は必ず巨いにす、と。正夫賤人の死する者に存りては、殆ど家室を竭くす。諸侯の死する者に乎いては、庫府を虚しくし、然る後に金玉珠璣、身に比べ、綸組節約し、車馬、壙に蔵む。又た必ず多く屋幕・鼎鼓・几筵・壺濫・戈劍・羽旄・齒革を為り、寢しめて之を埋む。意を滿たすに送從の若きは、曰く、天子は殉を殺すこと、衆きは數百、寡なきは數十。將軍大夫の殉を殺すこと、衆きは數十、寡なきは數人。
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『墨子』魯問魯陽文君、子墨子に語げて曰く、「楚の南に人を啖らう國なる者有り。其の國の長子生まるれば、則ち解きて之を食らう。之を宜弟と謂う。美なれば、則ち以て其の君に遺る。君、喜べば則ち其の父を賞す。豈に惡俗ならずや」と。子墨子曰く、「中國の俗と雖も、亦た猶お是のごときなり。其の父を殺して其の子を賞するは、何を以て其の子を食らいて其の父を賞する者に異ならんや。茍くも仁義を用いずんば、何を以て夷人の其の子を食らうを非とせんや」と。