直毘霊 / 神道
直毘霊(神道)の名句を、現代語訳と実践の解説つきで。全18句。
本居宣長が『古事記伝』一之巻の末に置いた一篇で、道とは何かを正面から論じたものです。寛政二年(一七九〇)に古事記伝の初帙が刊行され、後に単独でも読まれました。冒頭で「皇大御国は、掛けまくも可畏き神御祖天照大御神の御生れ坐せる大御国にして、万国に勝れたる所以は、先ずここにいちじるし」と前提を置き、そこから中国の聖人が作った道を徹底して斥けます。聖人とは人の国を奪い、奪い返されない構えを整えた者のことで、その道は「人の国を奪わむがためと、人に奪わるまじきかまえとの、二つには過ぎず」。天命とは、君を滅ぼし国を奪った者が自分の罪を逃れるために構え出した口実である——というように、儒学一色だった当時の学問に真っ向から反論する書です。同時に、名がないことを充足の証しとして読み替える「実は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり」、世の理不尽を荒ぶる禍津日神の働きに帰し、天照大御神の力をもってしても抑えかねる折があるとする特異な世界像など、宣長の思想の核がここに凝縮しています。刊行当時から反響は激しく、儒者の市川匡が『まがのひれ』で反論し、宣長は『くずばな』で応じました。上田秋成との論争『呵刈葭』も同じ時期のものです。師導では、この書が師導の収める漢籍への正面からの反論であることを踏まえ、十八の章句を宣長の主張のまま収めています。底本は『国民思想叢書』所収本(近代活版・句読点あり)を切り出し元とし、『本居宣長全集』第一(吉川弘文館、校訂 本居豊頴・本居清造)と漢字の並びで照合しました。どちらも全文はOCRのため、直した箇所は一件残らず素材フォルダの校訂記録に残してあります。踊り字はOCRで潰れているため開いて示しました。章題は本サイトの便宜で、原典にはありません。