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直毘霊 / 漢意の移れるなり

神の道としもいふ所由は、下につばらかにとく。しかありて御代々々を經るまゝに、いやますますに、その漢國のてぶりをしたひまねぶこと、盛になりもてゆきつゝ、つひに天の下所知看す大御政もゝはら漢樣に爲はてゝ、難波の長柄宮、淡海の大津宮のほどに至りて、天の下の御制度も、みな漢になりき、かくて後は、古の御てぶりは、たゞ神事にのみ用ひ賜へり、故後代までも、神事にのみは、皇國のてぶりの、なほのこれることおほきぞかし。靑人草の心までぞ、其意にうつりにける。天皇尊の大御心を心とせずして、己々がさかしらごゝろを心とするは、漢意の移れるなり。さてこそ安けく平けくて有來し御國の、みだりがはしきこといできつゝ、異國にやゝ似たることも、後にはまじりきにけれ。いと

新字:神の道としもいふ所由は、下につばらかにとく。しかありて御代々々を経るまゝに、いやますますに、その漢国のてぶりをしたひまねぶこと、盛になりもてゆきつゝ、つひに天の下所知看す大御政もゝはら漢様に為はてゝ、難波の長柄宮、淡海の大津宮のほどに至りて、天の下の御制度も、みな漢になりき、かくて後は、古の御てぶりは、たゞ神事にのみ用ひ賜へり、故後代までも、神事にのみは、皇国のてぶりの、なほのこれることおほきぞかし。青人草の心までぞ、其意にうつりにける。天皇尊の大御心を心とせずして、己々がさかしらごゝろを心とするは、漢意の移れるなり。さてこそ安けく平けくて有来し御国の、みだりがはしきこといできつゝ、異国にやゝ似たることも、後にはまじりきにけれ。いと

書き下し

神の道としもいう所以は、下につばらかに説く。しかありて御代御代を経るままに、いやますますに、その漢国の手振りを慕い学ぶこと、盛んになりもてゆきつつ、ついに天の下知ろしめす大御政ももはら漢様に為果てて、難波の長柄宮、淡海の大津宮のほどに至りて、天の下の御制度も、みな漢になりき。かくて後は、古の御手振りは、ただ神事にのみ用い賜えり。故、後代までも、神事にのみは、皇国の手振りの、なお残れること多きぞかし。青人草の心までぞ、その意に移りにける。天皇尊の大御心を心とせずして、己々がさかしら心を心とするは、漢意の移れるなり。さてこそ安けく平けくてあり来し御国の、乱りがわしきこと出で来つつ、異国にやや似たることも、後には交じりきにけれ。いと

現代語訳

(これを)特に「神の道」という理由は、後で詳しく説く。そうして御代御代を経るにつれて、ますますあの漢国(中国)の風儀を慕い学ぶことが盛んになっていき、ついに天下をお治めになる大御政もすっかり中国風になってしまい、難波の長柄宮(孝徳天皇の都)、淡海の大津宮(天智天皇の都)の頃に至って、天下の御制度もみな中国風になった。こうして後は、古の御風儀は、ただ神事にだけお用いになった。だから後の代までも、神事にだけは皇国の風儀がなお多く残っているのである。青人草(民草)の心までも、その(中国の)心に移ってしまった。天皇の大御心を自分の心とせずに、めいめいが小賢しい心を自分の心とするのは、漢意が移ったのである。そうしてこそ、安らかに平らかに続いてきた御国に乱れたことが起こってきて、異国にやや似たことも、後には交じるようになってしまった。いと(もめでたき……と次に続く)

解説

日本が中国の制度を取り入れていった過程を、宣長は具体的な時代に結びつけて語る。難波の長柄宮は孝徳天皇の都で大化の改新の舞台、淡海の大津宮は天智天皇の都で近江令が編まれたとされる。この頃に天下の制度がみな中国風になり、古の風儀は神事にだけ残った、と。神事に古い形が多く残るという観察は、古事記研究に打ち込んだ宣長ならではの視点である。そして変化は制度にとどまらず、民の心にまで及んだ。天皇の大御心を心とせず、めいめいの賢しら心を心とするのが「漢意の移れる」姿だ、と宣長は言う。外から取り入れた仕組みは、いつのまに人の考え方そのものを変えてしまうのだろうか。

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