直毘霊 / 皇国魂の定まりて
深き妙なる理のこもれるを、其意をえしらぬは、かの漢國書の垣內にまよひ居る故なり、此をいではなれざらむほどは、たとひ百年千年の力をつくして、物學ぶとも、道のためには、何の益なきいたづらわざならむかし、但し古書は、みな漢文にうつして書たれば、彼國のことも、一わたりは知てあるべく、文字のことなどしらむためには、漢籍をも、いとまあらば學びつべし、皇國魂の定まりて、たゞよはぬうへにては、害はなきものぞ。
新字:深き妙なる理のこもれるを、其意をえしらぬは、かの漢国書の垣内にまよひ居る故なり、此をいではなれざらむほどは、たとひ百年千年の力をつくして、物学ぶとも、道のためには、何の益なきいたづらわざならむかし、但し古書は、みな漢文にうつして書たれば、彼国のことも、一わたりは知てあるべく、文字のことなどしらむためには、漢籍をも、いとまあらば学びつべし、皇国魂の定まりて、たゞよはぬうへにては、害はなきものぞ。
書き下し
深き妙なる理の籠もれるを、其の意をえ知らぬは、彼の漢国書の垣内に迷い居る故なり、此を出で離れざらんほどは、たとい百年千年の力を尽くして、物学ぶとも、道のためには、何の益なき徒ら業ならんかし、但し古書は、皆漢文に移して書きたれば、彼の国のことも、一わたりは知りてあるべく、文字のことなど知らんためには、漢籍をも、暇あらば学びつべし、皇国魂の定まりて、漂わぬ上にては、害は無きものぞ。
現代語訳
深く霊妙な理がこもっているのに、その意味を知ることができないのは、あの漢国の書物の垣根の内に迷っているからである。ここを出て離れないうちは、たとえ百年千年の力を尽くして学問をしても、道のためには何の益もない無駄な業であろう。ただし古書はみな漢文に移して書いてあるから、あの国のことも一通りは知っておくべきであり、文字のことなどを知るためには、漢籍も暇があれば学んでおくがよい。皇国魂(みくにだましい)がしっかり定まって、揺らがないうえでならば、害はないものである。
解説
関連する章句
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『直毘霊』垣内を離れて見れば古えは道という言挙げなかりし故に、古書どもに露ばかりも道々しき意も語も見えず、故舎人親王を始め奉りて、世々の識者ども、道の意をえ捉えず、唯彼の道々しきことこちたく言える、唐書の説のみ、心の底に染み着きて、其を天地の自ずからなる理と思い居る故に、すがるとは思わねども、自ずからそれにまつわれて、彼方へのみ流れゆくめり、されば異国の道を道の羽翼となるべき物と思うも、即ち其の心の彼処へ奪われつるなりけり、大方漢国の説は、彼の陰陽乾坤などをはじめ、諸皆、もと聖人どもの己が智をもて、推し量りに作り構えたる物なれば、うち聞きには、理深げに聞こゆめれども、彼が垣内を離れて外よりよく見れば、何ばかりのこともなく、中々に浅はかなることどもなりかし、されど昔も今も世人の此の垣内に迷い入りて、え出で離れぬこそ口惜しけれ、大御国の説は、神代より伝え来しままにして、いささかも人のさかしらを加えざる故に、上辺は唯浅々と聞こゆれども、実には底ひもなく、人の智のえ測らぬ、
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『直毘霊』漢籍の神道と皇国の神道されば彼の漢籍なる神道は、測り難くあやしき道という心、皇国の神道は、皇祖神の、始め賜い保ち賜う道ということにて、其の意いたく異なるをや。さて其の道の意は、此の記をはじめ、諸々の古書どもをよく味わい見れば、今もいとよく知らるるを、世々の物知り人どもの心も、皆禍津日神にまじこりて、唯唐書にのみ惑いて、思いと思い、言いと言うことは、皆仏と漢との意にして、まことの道の心をば、え悟らずなもある。
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『直毘霊』から人の説になまどわされそかくてその聖人どものしわざに習いて、後々の人どもも、万の事を己が悟りもて推し量りごとするぞ、彼の国の癖なる。大御国の物学びせむ人、是をよく心得おりて、ゆめから人の説になまどわされそ。すべて彼の国は、事毎にあまり細かに心を着けて、かにかくに論い定むる故に、なべて人の心さかしだち悪しくなりて、なかなかに事をししこらかしつつ、いよよ国は治まりがたくのみなりゆくめり。
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『直毘霊』直く清かりし心いともめでたき大御国の道をおきながら、他国のさかしく言痛き意行をよきこととして、ならい学べるから、直く清かりし心も行いも、みな穢く悪くまがりゆきて、後ついには、かの他国のきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし。さる後のありさまを見て、聖人の道ならずては、国は治まりがたき物ぞと思うめるは、しか治まりがたくなりぬるは、もと聖人の道の弊なることを、え悟らぬなり。
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『直毘霊』直毘神の御霊たばりてもし強いて求むとならば、汚き唐書心を祓い清めて清々しき御国心もて、古典どもをよく学びてよ、然せば、受け行うべき道無きことは、自ずから知りてん、其を知るぞ、即ち神の道を受け行うにはありける、かかれば如此まで論うも、道の意にはあらねども、禍津日神の御しわざ、見つつ黙止えあらず、神直毘神大直毘神の御霊たばりて、この禍をもて直さんとぞよ。上の件、すべて己が私の心もて言うにあらず、事ごとに古典に、拠るところあることにしあれば、よく見ん人は疑わじ。かく言うは、明和の八年という年の、神無月の九日の日、伊勢国飯高郡の御民、平阿曽美宣長、畏み畏みも記す。
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『直毘霊』天地のことわりは神の御所為そもそも天地のことわりはしも、すべて神の御所為にして、いともいとも妙に奇しく、霊しき物にしあれば、さらに人のかぎりある智りもては、測りがたきわざなるを、いかでかよくきわめつくして知ることのあらむ。然るに聖人のいえる言をば、何ごともただ理の至極と、信じたっとみおるこそいと愚なれ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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