直毘霊 / 毛は無きが貴き
譬ば才も何もすぐれたる人はいひたてぬを、なまなまのわろものぞ。返りていさゝかの事をも、ことごとしく言ひあげつゝほこるめる如く、漢國などは、道ともしきゆゑに、かへりて道々しきことをのみ云あへるなり。儒者はこゝをえしらで、皇國をしも、道なしとかろしむるよ。儒者のえしらぬは、萬に漢を尊き物に思へる心は、なほさも有りなむを。此方の物知り人さへに、是れをえさとらずて、かの道てふことある漢國をうらやみて、强ひてこゝにも道ありと、あらぬことどもをいひつゝ爭ふは、たとへば猿どもの人を見て、毛なきぞとわらふを、人の恥ぢて、おのれも毛はある物をといひて、こまかなるをしひて求め出して見せて、あらそふが如し。毛は無きが貴きをえしらぬ癡人のしわざにあらずや。
新字:譬ば才も何もすぐれたる人はいひたてぬを、なまなまのわろものぞ。返りていさゝかの事をも、ことごとしく言ひあげつゝほこるめる如く、漢国などは、道ともしきゆゑに、かへりて道々しきことをのみ云あへるなり。儒者はこゝをえしらで、皇国をしも、道なしとかろしむるよ。儒者のえしらぬは、万に漢を尊き物に思へる心は、なほさも有りなむを。此方の物知り人さへに、是れをえさとらずて、かの道てふことある漢国をうらやみて、強ひてこゝにも道ありと、あらぬことどもをいひつゝ争ふは、たとへば猿どもの人を見て、毛なきぞとわらふを、人の恥ぢて、おのれも毛はある物をといひて、こまかなるをしひて求め出して見せて、あらそふが如し。毛は無きが貴きをえしらぬ痴人のしわざにあらずや。
書き下し
譬えば才も何も、すぐれたる人は言い立てぬを、なまなまのわろものぞ、返りていささかの事をも、ことごとしく言い上げつつ誇るめる如く、漢国などは、道乏しきゆえに、かえって道々しきことをのみ云い合えるなり。儒者はここをえ知らで、皇国をしも、道なしと軽しむるよ。儒者のえ知らぬは、万に漢を尊き物に思える心は、なおさも有りなむを。此方の物知り人さえに、これをえ悟らずて、かの道てふことある漢国をうらやみて、強いてここにも道ありと、あらぬことどもを言いつつ争うは、たとえば猿どもの人を見て、毛なきぞとわらうを、人の恥じて、おのれも毛はある物をといいて、こまかなるを強いて求め出して見せて、あらそうが如し。毛は無きが貴きをえ知らぬ癡人のしわざにあらずや。
現代語訳
たとえば、才能でも何でも、優れた人は言い立てないのに、なまなかの半端者ほど、かえって些細なことまで大げさに言い上げて誇るものだ。それと同じで、中国などは道が乏しいから、かえって道めいたことばかりを言い合っているのである。儒者はここが分からず、この国を道がないと言って軽んじる。儒者が分からないのは、何事につけ中国を尊いものと思っているのだから、まだそうもあろう。だが、こちらの学者までがこれを悟らず、道という語のある中国をうらやんで、無理にこちらにも道があると、ありもしないことを言い立てて争うのは、たとえば猿どもが人を見て毛がないと笑うのを、人が恥じて、自分にも毛はあるのだと言い、細かい毛を無理に探し出して見せて争うようなものだ。毛がないことこそ貴いのだと分からない、愚か者のしわざではないか。
解説
この章句が説くこと
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『直毘霊』道てふことはあれども道はなき漢国などは、道てふことはあれども、道はなきが故に、もとより乱りなるが、世世にますます乱れ乱れて、終には傍らの国人に国はことごとく奪われ果てぬ。其は夷狄と言いて卑しめつつ、人の如くも思えらざりしものなれども、勢い強くして、奪い取りつれば、せむ術なく天子と言いて、仰ぎ居るなるは、いともあさましき有様ならずや。かくても儒者はなお善き国とや思うらむ。王のみならず、おおかた貴き賤しき統定まらず、周と言いし代までは、封建の制とか言いて、この別ありしが如くなれど、それも王の統変われば、下までも共に変わりつれば、まことは別なし。秦よりこなたは、いよよこの道立たず、乱りにして、賤しき奴の女も、君の寵のまにまに、忽ちに后の位に上り、王の女をも、筋なき男に合わせて、恥とも思えらず。また昨日まで山賤なりし者も、今日はにわかに国の政執る高官にもなり上るたぐい、およそ貴賤き品定まらず、鳥獣の有様に異ならずなもありける。
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『直毘霊』直く清かりし心いともめでたき大御国の道をおきながら、他国のさかしく言痛き意行をよきこととして、ならい学べるから、直く清かりし心も行いも、みな穢く悪くまがりゆきて、後ついには、かの他国のきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし。さる後のありさまを見て、聖人の道ならずては、国は治まりがたき物ぞと思うめるは、しか治まりがたくなりぬるは、もと聖人の道の弊なることを、え悟らぬなり。
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『直毘霊』垣内を離れて見れば古えは道という言挙げなかりし故に、古書どもに露ばかりも道々しき意も語も見えず、故舎人親王を始め奉りて、世々の識者ども、道の意をえ捉えず、唯彼の道々しきことこちたく言える、唐書の説のみ、心の底に染み着きて、其を天地の自ずからなる理と思い居る故に、すがるとは思わねども、自ずからそれにまつわれて、彼方へのみ流れゆくめり、されば異国の道を道の羽翼となるべき物と思うも、即ち其の心の彼処へ奪われつるなりけり、大方漢国の説は、彼の陰陽乾坤などをはじめ、諸皆、もと聖人どもの己が智をもて、推し量りに作り構えたる物なれば、うち聞きには、理深げに聞こゆめれども、彼が垣内を離れて外よりよく見れば、何ばかりのこともなく、中々に浅はかなることどもなりかし、されど昔も今も世人の此の垣内に迷い入りて、え出で離れぬこそ口惜しけれ、大御国の説は、神代より伝え来しままにして、いささかも人のさかしらを加えざる故に、上辺は唯浅々と聞こゆれども、実には底ひもなく、人の智のえ測らぬ、
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『直毘霊』儒者どものさえずりぐさもとよりしか穢悪き心もて作りて、人を欺く道なるけにや、後の人も、上辺こそ尊み従いがおにもてなすめれど、まことには一人も守り勤むる人なければ、国の助けとなることもなく、その名のみ広ごりて、ついに世に行わるることなくて、聖人の道は、ただいたずらに人をそしる世々の儒者どもの、さえずりぐさとぞなれりける。然るに儒者の、ただ六経などいう書をのみ捕らえて、彼の国をしも、道正しき国ぞと、言いののしるは、いたく違えることなり。
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『直毘霊』何の道くれの道これを置きては、上代に、道というものはなかりしぞかし。物のことわりあるべきすべ、万の教えごとをしも、何の道くれの道ということは、異国のさだなり。
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『直毘霊』二つには過ぎずさて其の聖人どもの作りかまえて、定めおきつることをなも、道とはいうなる。かかれば、唐国にして道という物も、其の旨をきわむれば、ただ人の国を奪わむがためと、人に奪わるまじきかまえとの、二つには過ぎずなもある。

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