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直毘霊 / なまさかしらなる漢意

又神の坐地などにこそ、かつがつも此忌は物すめれ、なべては然る事さらになきは、火の穢などいふをば、愚なることゝおもふ、なまさかしらなる漢意のひろごれるなり、かくて神御典を釋誨ふる世々の識者たちすら、たゞ漢意の理をのみ、うるさきまで物して、此忌の說をしも、なほざりにすめるは、いかにぞや。

新字:又神の坐地などにこそ、かつがつも此忌は物すめれ、なべては然る事さらになきは、火の穢などいふをば、愚なることゝおもふ、なまさかしらなる漢意のひろごれるなり、かくて神御典を釈誨ふる世々の識者たちすら、たゞ漢意の理をのみ、うるさきまで物して、此忌の説をしも、なほざりにすめるは、いかにぞや。

書き下し

又神の坐す地などにこそ、かつがつも此の忌みは物すめれ、なべては然る事更に無きは、火の穢れなど言うをば、愚かなることと思う、なまさかしらなる漢意の広ごれるなり、かくて神の御典を釈き誨うる世々の識者たちすら、唯漢意の理をのみ、煩きまで物して、此の忌みの説をしも、なおざりにすめるは、如何にぞや。

現代語訳

また神のいらっしゃる地などでこそ、どうにかこの忌みは行われているようだが、広く一般にはまったくそうしたことがないのは、火の穢れなどというものを愚かなことと思う、生半可に小賢しい漢意が広まったからである。こうして神の御典(神典)を解き教える代々の識者たちでさえ、ただ漢意の理屈ばかりを煩わしいほど述べて、この忌みの説をなおざりにしているらしいのは、どういうことであろうか。

解説

火の穢れを忌む習いが、今は神事の折や社地にかろうじて残るだけで、日常からは消えてしまった。宣長はその原因を、火の穢れなど迷信だと笑う「なまさかしらなる漢意」の広がりに見る。しかも神典を講じる学者までが、理屈による解釈にばかり力を注ぎ、古伝が伝える忌みの作法を軽んじている。宣長にとって神典を読むとは、書かれたとおりを受け取り、その中にある禁忌や作法もそのまま重んじることであった。理屈で割り切れないものを切り捨てる態度そのものを、彼は漢意と呼んだのである。合理的に見えないしきたりを、意味を確かめないまま捨ててしまってはいないだろうか。

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