直毘霊 / 秘説は心ぎたなきわざ
故おのが身々に受行ふべき神道の敎などいひて、くさぐさものすなるも、みなかの道々のをしへごとをうらやみて、近き世にかまへ出たるわたくしごとなり。ことごとしく祕說など云て、人えりして密に傳ふる類など、皆後世に僞造れることぞ、凡てよきことはいかにもいかにも世に廣まるこそよけれ、ひめかくして、あまねく人に知せず、己が私物にせむとするは、いと心ぎたなきわざなりかし。あなかしこ、天皇の天下しろしめす道を下が下として己がわたくしの物とせむことよ。下なる者は、かにもかくにもたゞ上の御おもむけに從ひ居るこそ、道にはかなへれ、たとへ神の道の行ひの、別にあらむにても、其を敎へ學びて、別に行ひたらむは、上にしたがはぬ私事ならずや。人はみな、產巢日神の御靈によりて、生れつるまにまに、身にあるべきかぎりの行は、おのづから知てよく爲る物にしあれば。
新字:故おのが身々に受行ふべき神道の教などいひて、くさぐさものすなるも、みなかの道々のをしへごとをうらやみて、近き世にかまへ出たるわたくしごとなり。ことごとしく秘説など云て、人えりして密に伝ふる類など、皆後世に偽造れることぞ、凡てよきことはいかにもいかにも世に広まるこそよけれ、ひめかくして、あまねく人に知せず、己が私物にせむとするは、いと心ぎたなきわざなりかし。あなかしこ、天皇の天下しろしめす道を下が下として己がわたくしの物とせむことよ。下なる者は、かにもかくにもたゞ上の御おもむけに従ひ居るこそ、道にはかなへれ、たとへ神の道の行ひの、別にあらむにても、其を教へ学びて、別に行ひたらむは、上にしたがはぬ私事ならずや。人はみな、産巣日神の御霊によりて、生れつるまにまに、身にあるべきかぎりの行は、おのづから知てよく為る物にしあれば。
書き下し
故おのが身々に受け行うべき神道の教えなど言いて、種々ものすなるも、皆彼の道々の教え言を羨みて、近き世に構え出でたる私事なり。事々しく秘説など言いて、人選りして密かに伝うる類など、皆後世に偽り造れることぞ、凡て良きことはいかにもにも世に広まるこそ良けれ、秘め隠して、遍く人に知らせず、己が私物にせんとするは、いと心汚きわざなりかし。あなかしこ、天皇の天下知ろしめす道を下が下として己が私の物とせんことよ。下なる者は、かにもかくにも唯上の御趣けに従い居るこそ、道には適えれ、たとえ神の道の行いの、別にあらんにても、其を教え学びて、別に行いたらんは、上に従わぬ私事ならずや。人は皆、産巣日神の御霊によりて、生まれつるまにまに、身にあるべき限りの行いは、自ずから知りてよく為る物にしあれば。
現代語訳
それゆえ、各自が身に受けて行うべき神道の教えなどと言って、あれこれ説いているのも、みなあの(儒仏の)道々の教えを羨んで、近い時代に作り出した私事である。仰々しく秘説などと言って、人を選んで密かに伝える類なども、みな後世に偽って作ったものである。およそ良いことはどこまでも世に広まってこそ良いのであって、秘め隠して広く人に知らせず、自分の私物にしようとするのは、実に心の汚いことである。ああ畏れ多い、天皇が天下を治められる道を、下の下の者が自分の私物にしようとは。下にある者は、とにもかくにも、ただお上のご意向に従っていることこそ道にかなうのであり、たとえ神の道としての行いが別にあったとしても、それを教え学んで別に行ったなら、お上に従わない私事ではないか。人はみな、産巣日神(むすひのかみ)の御霊によって、生まれついたままに、身に備わるべきかぎりの行いは、おのずから知ってよく行うものであるから。
解説
関連する章句
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『直毘霊』漢籍の神道と皇国の神道されば彼の漢籍なる神道は、測り難くあやしき道という心、皇国の神道は、皇祖神の、始め賜い保ち賜う道ということにて、其の意いたく異なるをや。さて其の道の意は、此の記をはじめ、諸々の古書どもをよく味わい見れば、今もいとよく知らるるを、世々の物知り人どもの心も、皆禍津日神にまじこりて、唯唐書にのみ惑いて、思いと思い、言いと言うことは、皆仏と漢との意にして、まことの道の心をば、え悟らずなもある。
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『直毘霊』大御心を心として古えの大御代には、下が下まで、唯天皇の大御心を心として。天皇の思ほしめす御心のまにまに仕え奉りて、己が私心は露なかりき。ひたぶるに大命を畏み敬い服いて、大御慈しみの御蔭に隠ろいて、おのもおのも祖神を斎き祭りつつ天皇の大御皇祖神の御前を拝み祭り坐すがごとく、臣連八十伴緒、天の下の百姓に至るまで、各祖神を祭るは常にて、又天皇の朝廷のため天の下のために、天つ神国つ神諸をも祭り坐すが如く、下なる人どもも、事に触れては、福を求むと、善き神に請い祈ぎ、禍を逃れんと、悪しき神をも和め祭り、又たまたま身に罪穢れもあれば、祓い清むるなど、皆人の情にして、必ず有るべきわざなり、然るを心だにまことの道に適いなば、など言うめる筋は、仏の教え儒の見にこそ、さることもあらめ、神の道には、甚く背けり、又異国には、神を祭るにも、唯理を先にして、様々議論あり、淫祀など言いて、戒むることもある、皆さかしらなり、凡て神は、仏などいうなる物の趣とは異にして、善き神のみにはあらず、悪しきも有りて、心も所行も、
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『直毘霊』惟神神ながら安国と、平けく知ろしめしける大御国になもありければ、書紀の難波の長柄の朝廷の御巻に、惟神とは神道に随い給いて、自ずから神道有るを謂う也とあるを、よく思うべし。神の道に随うとは、天の下治め賜う御しわざは、ただ神代より有り来しまにまに物し賜いて、いささかもさかしらを加え給うことなきをいう。さてしか神代のまにまに、大らかに知ろしめせば、おのずから神の道はたらいて、他に求むべきことなきを、自ずから神道有りとはいうなりけり。
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『直毘霊』人は鳥虫に劣れりとや世の中に生きとし生ける物、鳥虫に至るまでも、己が身のほどほどに必ずあるべき限りのわざは、産巣日神の御霊に頼りて、自ずからよく知りて為すものなる中にも、人は殊に優れたる物と生まれつれば、又しか優れたるほどに適いて、知るべき限りは知り、すべき限りはする物なるに、いかでか其の上を猶強いることのあらん、教えによらずては、え知らずえせぬものと言わば、人は鳥虫に劣れりとやせん、いわゆる仁義礼譲孝悌忠信の類、皆人の必ずあるべきわざなれば、あるべき限りは、教えを借らざれども、自ずからよく知りて為すことなるに、彼の聖人の道は、もと治まり難き国を、強いて治めんとして作れる物にて、人の必ず有るべき限りを過ぎて、猶厳しく教え立てんとせる強い事なれば、まことの道に適わず、故口には人皆事々しく言いながら、まことに然行う人は、世々にいと有り難きを、天理のままなる道と思うはいたく違えり、又其の道に背ける心を、人欲と言いて憎むも、心得ず、そもそも其の人欲という物は、
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『直毘霊』此の道はいかなる道ぞそも此の道は、いかなる道ぞと尋ぬるに、天地のおのずからなる道にもあらず。是をよく弁え別けて、かの漢国の老荘などが見と、ひとつにな思いまがえそ。人の作れる道にもあらず。此の道はしも、可畏きや高御産巣日神の御霊によりて、世の中にあらゆる事も物も、皆悉に、此の大神のみたまより成れり。神祖伊邪那岐大神・伊邪那美大神の始めたまいて、よのなかにあらゆる事も物も、此の二柱の大神よりはじまれり。天照大御神の受けたまい、たもちたまい、伝え賜う道なり。故に是を以て神の道とは申すぞかし。
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『直毘霊』直毘神の御霊たばりてもし強いて求むとならば、汚き唐書心を祓い清めて清々しき御国心もて、古典どもをよく学びてよ、然せば、受け行うべき道無きことは、自ずから知りてん、其を知るぞ、即ち神の道を受け行うにはありける、かかれば如此まで論うも、道の意にはあらねども、禍津日神の御しわざ、見つつ黙止えあらず、神直毘神大直毘神の御霊たばりて、この禍をもて直さんとぞよ。上の件、すべて己が私の心もて言うにあらず、事ごとに古典に、拠るところあることにしあれば、よく見ん人は疑わじ。かく言うは、明和の八年という年の、神無月の九日の日、伊勢国飯高郡の御民、平阿曽美宣長、畏み畏みも記す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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