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直毘霊 / 道てふことはあれども道はなき

漢國などは、道てふことはあれども、道はなきが故に、もとよりみだりなるが、世世にますます亂れみだれて終には傍の國人に國はことごとくうばはれはてぬ、其は夷狄といひて卑めつゝ、人のごともおもへらざりしものなれども、いきほひつよくして、うばひ取つれば、せむすべなく天子といひて、仰ぎ居るなるは、いともあさましきありさまならずや、かくても儒者はなほよき國とやおもふらむ、王のみならず、おほかた貴きいやしき統さだまらず、周といひし代までは、封建の制とかいひて、此別ありしがごとくなれど、それも王の統かはれば、下までも共にかはりつれば、まことは別なし、秦よりこなたは、いよゝ此道たゝず、みだりにして賤き奴の女も、君の寵のまにまに、忽に后の位にのぼり、王の女をも、すぢなき男にあはせて、耻ともおもへらず、又昨日まで山賤なりし者も、今日はにはかに國の政とる高官にもなり登るたぐひ、凡て貴賤き品さだまらず、島獸のありさまに異ならずなもありける。

新字:漢国などは、道てふことはあれども、道はなきが故に、もとよりみだりなるが、世世にますます乱れみだれて終には傍の国人に国はことごとくうばはれはてぬ、其は夷狄といひて卑めつゝ、人のごともおもへらざりしものなれども、いきほひつよくして、うばひ取つれば、せむすべなく天子といひて、仰ぎ居るなるは、いともあさましきありさまならずや、かくても儒者はなほよき国とやおもふらむ、王のみならず、おほかた貴きいやしき統さだまらず、周といひし代までは、封建の制とかいひて、此別ありしがごとくなれど、それも王の統かはれば、下までも共にかはりつれば、まことは別なし、秦よりこなたは、いよゝ此道たゝず、みだりにして賤き奴の女も、君の寵のまにまに、忽に后の位にのぼり、王の女をも、すぢなき男にあはせて、耻ともおもへらず、又昨日まで山賤なりし者も、今日はにはかに国の政とる高官にもなり登るたぐひ、凡て貴賤き品さだまらず、島獣のありさまに異ならずなもありける。

書き下し

漢国などは、道てふことはあれども、道はなきが故に、もとより乱りなるが、世世にますます乱れ乱れて、終には傍らの国人に国はことごとく奪われ果てぬ。其は夷狄と言いて卑しめつつ、人の如くも思えらざりしものなれども、勢い強くして、奪い取りつれば、せむ術なく天子と言いて、仰ぎ居るなるは、いともあさましき有様ならずや。かくても儒者はなお善き国とや思うらむ。王のみならず、おおかた貴き賤しき統定まらず、周と言いし代までは、封建の制とか言いて、この別ありしが如くなれど、それも王の統変われば、下までも共に変わりつれば、まことは別なし。秦よりこなたは、いよよこの道立たず、乱りにして、賤しき奴の女も、君の寵のまにまに、忽ちに后の位に上り、王の女をも、筋なき男に合わせて、恥とも思えらず。また昨日まで山賤なりし者も、今日はにわかに国の政執る高官にもなり上るたぐい、およそ貴賤き品定まらず、鳥獣の有様に異ならずなもありける。

現代語訳

漢国(中国)などは、道という言葉はあっても道はないので、もとから乱れていたが、代々ますます乱れに乱れて、ついには周辺の国の人にすっかり国を奪われてしまった。それは夷狄と呼んで卑しみ、人並みとも思っていなかった者たちであるのに、勢いが強くて奪い取ってしまうと、どうしようもなく天子と呼んで仰いでいるというのは、実に浅ましい有様ではないか。これでも儒者はなお良い国だと思うのだろうか。王ばかりでなく、おおよそ貴い家柄と卑しい家柄の区別が定まらず、周といった代までは封建の制度とかいって、この区別があったようではあるが、それも王の血統が変われば下までもともに変わってしまうので、本当は区別がない。秦からこちらは、ますますこの道が立たず乱れていて、卑しい身分の者の娘も、君主の寵愛しだいでたちまち后の位に上り、王の娘をも素性の知れない男に嫁がせて、恥とも思わない。また昨日まで山賤(山に住む身分の低い者)であった者も、今日は急に国の政治を執る高官にまで成り上がるといったたぐいで、総じて貴賤の身分が定まらず、鳥や獣のありさまと変わらないのである。

解説

「道てふことはあれども、道はなき」。日本には道という言葉がないのに道があった、という先の主張と対をなす一句である。宣長は中国の歴史を振り返り、国がついには周辺の民に奪われたことを挙げる。夷狄と蔑んでいた者を、奪われれば天子と仰ぐ。宣長の時代の中国は満洲族の清朝であり、モンゴルの元の支配も念頭にあったと考えられる。さらに身分の統が定まらず、卑しい者の娘が后となり、山に住む者が一夜で高官になる、と非難する。科挙による登用や身分の流動を、宣長は秩序の欠如として描くのである。家柄に縛られない社会と身分の定まった社会の、どちらに安定を見るかで、この一節の読み方は大きく変わるだろう。

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