直毘霊 / 天命は託言なり
抑天命といふことは、彼の國にて古に、君を滅し、國を奪ひし聖人の、己が罪をのがれむために、かまへ出たる託言なり。まことには、天地は心ある物にあらざれば、命あるべくもあらず。
新字:抑天命といふことは、彼の国にて古に、君を滅し、国を奪ひし聖人の、己が罪をのがれむために、かまへ出たる託言なり。まことには、天地は心ある物にあらざれば、命あるべくもあらず。
書き下し
そもそも天命ということは、かの国にて古に、君を滅し、国を奪いし聖人の、己が罪をのがれむために、かまえ出したる託言なり。まことには、天地は心ある物にあらざれば、命あるべくもあらず。
現代語訳
そもそも天命ということは、あの国で昔、君を滅ぼし国を奪った聖人が、自分の罪を逃れるために構え出した口実である。実際には、天地は心のあるものではないのだから、命令などあろうはずがない。
解説
天命説を、簒奪者の言い訳として一刀のもとに斬る。宣長はこの後、論証を積む。もし天に心があって善人に国を与えるなら、周の末にも聖人が出るはずなのに出なかった。それどころか秦の始皇のような者に天下を与えて人民を苦しめた。また君に天命があるなら民にも善悪の徴が現れるはずだが、善人が不幸に、悪人が幸福になる例は昔も今も多い。だからそれは天のしわざではない、と。さらに、後世の王が天命だと言えば人は信じないのに、古の聖人の天命は本当だと思うのはどういう惑いか、とたたみかける。天命という言葉が誰にとって都合よく働くかを見よ、という読み方である。
この章句が説くこと
天命は託言簒奪の言い訳周の末善人も禍り悪人も福ゆる天道
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