直毘霊 / 漢籍の神道と皇国の神道
さればかの漢籍なる神道は、不測くあやしき道といふこゝろ、皇國の神道は、皇祖神の、始め賜ひたもち賜ふ道といふことにて、其意いたく異なるをや。さて其道の意は、此記をはじめ、もろもろの古書どもをよく味ひみれば、今もいとよくしらるゝを、世々のものしりびとゞもの心も、みな禍津日神にまじこりて、たゞからぶみにのみ惑ひて、思ひとおもひ、いひといふことは、みな佛と漢との意にして、まことの道のこゝろをば、えさとらずなもある。
新字:さればかの漢籍なる神道は、不測くあやしき道といふこゝろ、皇国の神道は、皇祖神の、始め賜ひたもち賜ふ道といふことにて、其意いたく異なるをや。さて其道の意は、此記をはじめ、もろもろの古書どもをよく味ひみれば、今もいとよくしらるゝを、世々のものしりびとゞもの心も、みな禍津日神にまじこりて、たゞからぶみにのみ惑ひて、思ひとおもひ、いひといふことは、みな仏と漢との意にして、まことの道のこゝろをば、えさとらずなもある。
書き下し
されば彼の漢籍なる神道は、測り難くあやしき道という心、皇国の神道は、皇祖神の、始め賜い保ち賜う道ということにて、其の意いたく異なるをや。さて其の道の意は、此の記をはじめ、諸々の古書どもをよく味わい見れば、今もいとよく知らるるを、世々の物知り人どもの心も、皆禍津日神にまじこりて、唯唐書にのみ惑いて、思いと思い、言いと言うことは、皆仏と漢との意にして、まことの道の心をば、え悟らずなもある。
現代語訳
そうであるから、あの漢籍にいう神道は、測り知れない霊妙な道という意味であり、皇国の神道は、皇祖神が始められ保たれてきた道ということであって、その意味は大いに異なるのである。さて、その道の意味は、この記(『古事記』)をはじめ、さまざまな古書をよく味わって読めば、今でもよく分かるのに、代々の学者たちの心も、みな禍津日神(まがつひのかみ)に取りつかれて、ただ漢籍にばかり惑わされ、思うこと言うことは、すべて仏教と漢の考えであって、まことの道の心を悟ることができずにいるのである。
解説
関連する章句
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『直毘霊』神道と申す名神道と申す名は、書紀の石村池辺宮の御巻に、始めて見えたり、されど其は只、神をいつき祭りたまうことをさして言えるなり、さて難波長柄宮の御巻に、惟神とは神の道に随うを謂い、亦自ずから神の道有るを謂うなりとあるぞ、まさしく皇国の道を広くさして言える始めなりける、さて其の由は、上に引きて言えるが如くなれば、其の道と言いて、異なる行いのあるにあらず、されば唯神をいつき祭りたまうことを言わんも、言いもてゆけば一むねにあたれり、然るを、唐書に、聖人神道を設く、という言あるを取りて、此方にも名づけたりなど言うめるは、事の心知らぬみだり言なり、
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『直毘霊』神とさすもの此と彼と其の故は、まず神とさすもの、此と彼と始めより同じからず。かの国にしては、いわゆる天地陰陽の、測りがたく霊しきをさしていうめれば、ただ空しき理りのみにして、たしかに其の物あるにあらず。さて皇国の神は、今の現に天の下知ろしめす天皇の皇祖に坐して、さらにかの空しき理りをいう類にはあらず。
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『直毘霊』神の道と名づけらる然るをやや降りて、書籍という物渡り参り来て、それを学びよむ事始まりて後、其の国のてぶりをならいて、やや万のうえにまじえ用いらるる御代になりてぞ、大御国の古の大御てぶりをば、取り別けて神の道とは名づけられたりける。そはかの外国の道々にまがうがゆえに、神といい、又かの名を借りて、ここにも道とはいうなりけり。
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『直毘霊』惟神神ながら安国と、平けく知ろしめしける大御国になもありければ、書紀の難波の長柄の朝廷の御巻に、惟神とは神道に随い給いて、自ずから神道有るを謂う也とあるを、よく思うべし。神の道に随うとは、天の下治め賜う御しわざは、ただ神代より有り来しまにまに物し賜いて、いささかもさかしらを加え給うことなきをいう。さてしか神代のまにまに、大らかに知ろしめせば、おのずから神の道はたらいて、他に求むべきことなきを、自ずから神道有りとはいうなりけり。
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『直毘霊』垣内を離れて見れば古えは道という言挙げなかりし故に、古書どもに露ばかりも道々しき意も語も見えず、故舎人親王を始め奉りて、世々の識者ども、道の意をえ捉えず、唯彼の道々しきことこちたく言える、唐書の説のみ、心の底に染み着きて、其を天地の自ずからなる理と思い居る故に、すがるとは思わねども、自ずからそれにまつわれて、彼方へのみ流れゆくめり、されば異国の道を道の羽翼となるべき物と思うも、即ち其の心の彼処へ奪われつるなりけり、大方漢国の説は、彼の陰陽乾坤などをはじめ、諸皆、もと聖人どもの己が智をもて、推し量りに作り構えたる物なれば、うち聞きには、理深げに聞こゆめれども、彼が垣内を離れて外よりよく見れば、何ばかりのこともなく、中々に浅はかなることどもなりかし、されど昔も今も世人の此の垣内に迷い入りて、え出で離れぬこそ口惜しけれ、大御国の説は、神代より伝え来しままにして、いささかも人のさかしらを加えざる故に、上辺は唯浅々と聞こゆれども、実には底ひもなく、人の智のえ測らぬ、
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『直毘霊』此の道はいかなる道ぞそも此の道は、いかなる道ぞと尋ぬるに、天地のおのずからなる道にもあらず。是をよく弁え別けて、かの漢国の老荘などが見と、ひとつにな思いまがえそ。人の作れる道にもあらず。此の道はしも、可畏きや高御産巣日神の御霊によりて、世の中にあらゆる事も物も、皆悉に、此の大神のみたまより成れり。神祖伊邪那岐大神・伊邪那美大神の始めたまいて、よのなかにあらゆる事も物も、此の二柱の大神よりはじまれり。天照大御神の受けたまい、たもちたまい、伝え賜う道なり。故に是を以て神の道とは申すぞかし。
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