直毘霊 / もろこしには聖人とぞ云ふなる
其が中に、威力あり智り深くて、人をなづけ、人の國を奪ひ取りて、又人にうばはるまじき事量をよくして、しばし國をよく治めて、後の法ともなしたる人を、もろこしには聖人とぞ云ふなる。
新字:其が中に、威力あり智り深くて、人をなづけ、人の国を奪ひ取りて、又人にうばはるまじき事量をよくして、しばし国をよく治めて、後の法ともなしたる人を、もろこしには聖人とぞ云ふなる。
書き下し
其が中に、威力あり智り深くて、人をなづけ、人の国を奪い取りて、又人にうばわるまじき事量をよくして、しばし国をよく治めて、後の法ともなしたる人を、もろこしには聖人とぞ云うなる。
現代語訳
その中で、威力があり知恵も深く、人を手なずけ、人の国を奪い取り、そのうえ二度と人に奪われないための手立てをよく整え、しばらくは国をよく治めて、後の世の法ともなった人を、中国では聖人と呼ぶのである。
解説
聖人の定義を、宣長はこう書き換える。人の国を奪い取り、奪い返されない仕組みを整えた者——それが聖人と呼ばれている、と。徳でも天命でもなく、簒奪と防衛の技術で説明する。この直前で彼は、乱れた世には戦に慣れるから名将が多く出る、それと同じで、国の風俗が悪く治まりにくいから、治める術を代々工夫した人間が出たのだ、と述べている。だから聖人が神のように優れた不思議な徳を持つと思うのは間違いだ、と続く。師導が収める儒家の書のほとんどは、聖人を人格の理想として語る。宣長はその前提そのものを外しにかかっている。
この章句が説くこと
聖人の定義威力と智り奪われまじき事量名将の譬え